インタビュアー=須川善行+細田成嗣(2017年9月22日)
◯ベトナム伝統演劇の家に生まれて
―― グエン・タン・トゥイさんって、同姓同名の人がベトナムに何人かいますよね、「Vietnam's Got Talent」で賞を獲った人とか。僕がYouTubeで見たその人は、ギターの弾き語りをやっていましたが。
トゥイ わりとよくある名前なんです。
―― まずトゥイさん自身の音楽的なバックグラウンドから聞かせてください。どういう家に育って、音楽に触れるきっかけはどういうものだったんでしょうか。
トゥイ 私はベトナムでお芝居をやっている家族に生まれました。父と母が伝統演劇の俳優なんです。父はチェオ・シアター(Nha Hat Cheo Ha Noi)の俳優で、母はトゥオン・シアター(Nha Hat Tuong Trung Uong)の俳優でした。ちなみにもうひとつ、カイルオンというがあって、この三つがハノイでの伝統的な芸能を支えています。それが全部ハノイの同じエリアにあって、私はそういうところで生まれ育ったんです。ですから、ベトナムの伝統音楽は、私が生まれたときから常に身近にありました。皆さんがわかりやすいように例えていうと、トゥオンは、中国の京劇に近いものです。チェオはそれに比べると、コスチュームがあってストーリーがあって、というのは同じですが、歌の種類が少し違うんです。
―― トゥイさんが弾いているダン・チャインという箏は、そのどれで使われるものですか。
トゥイ その三つのどのタイプでも使われています。ベトナムでは伝統的な劇と伝統音楽はとても関係が近くて、お芝居と音楽がいっしょになっていることが多いんです。私はそれらがいっしょになった環境で育ってきました。
―― ご両親は、トゥイさんに後継ぎといいますか、プロのダン・チャイン奏者になってほしかったんでしょうか。
トゥイ プロのミュージシャンになってほしいという気持ちはあったようですが、最初からダン・チャインをやれと言われたわけではありません。3人でこの楽器が向いてるねとなって、9歳のころに始めて、ハノイ音楽院で学びました。
―― ダン・チャインという楽器について説明してください。
トゥイ ダン・チャインは16本の絃がある楽器ですが、今はいろいろ新しいものも生まれてきていて、19絃あるものや21絃あるものも出てきています。増えているのは、低い方の音の絃ですね。
―― 琴や箏に似た楽器は世界中にあって、日本にもあることはトゥイさんもご存じだと思います。日本の箏の場合、駒を演奏中に動かしたりすることもありますが、ダン・チャインにはそういう奏法はありますか。
トゥイ もともとの伝統的な奏法としては動かすことはありませんが、私はダン・チャインの新しい奏法をいろいろ生み出そうとしているので、自分ではやっています。
◯ジェスチャーと音楽への関心
―― トゥイさんは音楽院に進まれたわけですが、そこでは伝統的な音楽と、西洋的な音楽の両方を学ばれたんですか。
トゥイ その学校ではベトナムの伝統音楽のみですね。西洋の音楽理論は学びましたが。
―― トゥイさんの場合、現代音楽にふれるきっかけは何だったのでしょうか。
トゥイ まず、1998年にベトナムの伝統音楽の奏者としての最優秀賞とダン・チャインの最優秀賞とをコンテストで受賞しました。私の伝統音楽のプロフェッショナルとしてのキャリアは、このときにスタートしています。でも、2000年ごろには、海外で勉強してベトナムに帰ってきたベトナム人の作曲家の人たちと知り合って、先鋭的な音楽を始めていました。彼らがダン・チャインで新しいことをやることにすごく興味をもってくれて、お互いに何かできるんじゃないかと考えたんです。彼らはダン・チャインのために曲を作ってくれて、結果的に、お互いにいろいろな発見がありました。私の方は、「この楽器に対して、そんな見方があるんだ」という発見があって、世界が開かれた思いがしました。それが最初のきっかけですね。
―― その作曲家は、何という方ですか。
トゥイ グエン・ティエン・ダオ(Nguyen Thien Dao)とイア・ソラ(Ea Sola)。この二人の作曲家が、私に非常に影響を与えてくれました。それぞれ男性と女性ですが、二人ともベトナム系フランス人です。ずっとフランスで教育を受けて活動をしていましたが、二人とも、40歳を越え、キャリアの半ばを過ぎてから、ベトナムに帰ってきました。ベトナムの伝統楽器や伝統音楽と、自分たちのそれまでやってきたことの間で新しいことをやってみようと考えたんです。グエン・ティエン・ダオは2年前に亡くなりましたが、イア・ソラはフランスと香港を往復しつつ、たまにハノイに立ち寄るというかたちで活動しています。イア・ソラはもともとは振付家で、パフォーマンスの中ですべてを指揮するような作品を作っています。
2000年くらいになって、ベトナムもだいぶ発展してきたので、ベトナムに関係ある人だけではなく、外国から人が来る機会が多くなり、外国人のミュージシャンたちがベトナムに来ることが増えてきました。彼らが現地のアーティストたちと一緒に何かやってみたいと思って人を探すときに、私にも声がかかるようになりました。私としては、外国から来た人たちといっしょに何か新しいことをやりながら学んだり、発展させてきたところがありますね。私が今やっていることをそれ以前にやっていた人はいませんから、当然先生にすべき人もいないので、自分で道を切り開いてきました。
最近では外から人が来るだけじゃなくて、自分自身も海外に行く機会が増えてきましたし、行く先々でその国の音楽や音楽家と一緒にやる機会が増えて、両方の効果があります。
―― トゥイさんはいま、ベトナム伝統音楽におけるジェスチャーの研究を続けているということですが、それは具体的にはどういうことでしょうか。
トゥイ もともと2006年からスウェーデンのマルメの音楽のアカデミーと、ベトナムの国立音楽院とで交換留学のプログラムがあって、それでベトナムの伝統音楽を教えに行っていました。さらに勉強をしたかったので、2012年にそこで博士課程に進み、ベトナムの伝統音楽におけるジェスチャーとジェンダーの関係についての研究を始めました。たかだか100年くらい前までは、ベトナムの伝統音楽の楽器は男性しか演奏できないものだったんです。ところが最近は、テレビをつけると、伝統音楽の楽器を演奏しているのは女性ばかり。これがまず単純になぜなんだろうと疑問をもったことがきっかけでした。また、男性の奏者と女性の奏者の、演奏をするときの身体の動き、身振り(ジェスチャー)がまったく違うことに興味をもちました。動きの大きさも違えば、顔の表情も違っていて、そこで何かを伝えようとしているわけですね。それを学術的なリサーチ対象として調べてみようと思ったので、身振りの意味について学び、さらに研究を進めています。
◯「ヴードゥー・ヴァイブレーション」
―― 京丹後でのプレゼンテーションで演奏した「ヴードゥー・ヴァイブレーション」(正式なタイトルは「Vodou vibrations sounds of memories of fields and burdens living in translations and broken bows balancing on plateaus while speaking to one self and scratching the surface of the raft while drifting away」。2014年作)という楽曲も、身振りが印象的な作品でした。もともとは振付家とコラボして作った作品だとおっしゃっていましたよね。
トゥイ そうです。もともとは36分の作品で、マリ・ファリン(Marie Fahlin)というスウェーデンの振付家といっしょに作りました。あれはいつもと逆に、身振りから生まれたものです。身振りを見て、その身振りはどういう楽器でどういう音でありえるかを考えて音を出していく、いわば音と動きのインタラクティヴな作品です。その背景には、研究でやっていることにもつながってきますが、ジェンダーをめぐる規範が強く関係しています。パフォーマンスの中で、お花や水を扱うような動きに対して、すごく攻撃的な動きがあったりというように、多くのレイヤーがあることがわかります。
―― 「ヴードゥー・ヴァイブレーション」については「これはサイトスペシフィックな作品です」ともおっしゃっていました。それについてもう少しくわしく聞かせてください。そのときの会場は小学校の教室でしたが、そこを選んだ意味についても教えていただければ。
トゥイ 振付があってダンスをするという世界では、部屋の中でどっちを向くとか、どのダンサーがどこにいるということが大切なので、その意味で「サイトスペシフィック」という言い方をしました。また、他にもビデオや文章、写真、絵とか、違うところで録音してきた音なども使っていますが、それよりも場、空間そのものがこの作品にとっては大切なので、「サイトスペシフィック」と呼びました。
京丹後では、最初の5分間だけをやりましたが、それは他の部分が演奏できなかったからです。ダンサーもいないし、そのスペースもなかったので。その部分も、箏の伝統的な奏法にのっとって演奏するのではなく、箏を自分の前に向こう向きに立てて置いて、自分が後ろに隠れている状態で弾きました。本人の姿は見えなくて、見えるのは楽器と手だけ、という強烈なヴィジュアルをもつ作品でした。ヴードゥー教の怪しい儀式みたいに、箏にナイフや釘などの危険なものをつけていたので、「ヴードゥー」ということばを選びました。あの教室を選んだのは、小学校全体が使えた中で、あの部屋だけが唯一壁面が暗い色だったからです。暗い色の服を着て楽器の後ろに隠れて演奏をするので、少し遠くから見たときに、後ろが暗いと、楽器だけが見えて、手が飛んでいるように見える、というその強いヴィジュアルがやりたかったので、その部屋しかなかったんです。
―― そのときに演奏する音は、前もって作曲されたものですか、あるいはインプロヴィゼーションでその場で決めていったものですか。
トゥイ その中間のようなものですね。たとえば楽譜があって譜面通り弾かなきゃいけないという意味で、作曲されたものがあるわけではありませんし、逆にまったく自由に即興で演奏されたものでもありません。ある枠組みみたいなものがあって、その振りが決まっているので、そこのシークエンスの部分に関してはその振りの音を演奏しています。その意味では決まっていますが、譜面どおりに弾くというほどかっちり決まっているわけではありません。
◯即興演奏の現場で
―― トゥイさんは即興にどれくらい慣れているのかについて聞かせてください。ベトナムの伝統音楽の中には即興の要素が含まれているんでしょうか。含まれているとしたら、そこでやった即興の経験は現在の演奏に生きていますか。逆に、もし伝統音楽に即興の要素があまりないのだとしたら、トゥイさんは即興にはどういうふうになじんできたんでしょうか。
トゥイ 最初にベトナムの伝統音楽の中で、即興の要素があるのかということについては、あります、というのが答えです。伝統音楽の中には、いわゆる譜面はありません。でも、私がフレームワーク(枠組み)と呼んでいるものはあります。でも、細かいところは即興です。伝統音楽のレパートリーが後世にどうやって伝わっているかというと、口伝によっています。そういう意味での枠組みはありますが、その中で、たとえば細かい部分をどうアレンジしてどう演奏するかは奏者次第です。その枠組みの中でどれだけ変化をつけられるか、どれだけ装飾的な音を入れたり、緩急をつけたりというようなことができるかということで、その奏者がどれくらい素晴らしいのかが決まってくるので、その意味では即興の要素はベトナムの音楽の中でとても大事な要素になっています。
そういう意味では、即興に慣れてはいましたが、一方で、このフェスティバルでやっているようなフリー・インプロヴィゼーションは、それとはまったく違うものです。枠組みも決まりもない状態の中で演奏するわけですから、その意味では、まったくやったことがないものです。いわゆるリハーサルもなく、その日に初めて会った人と、「こんにちは、じゃあやりましょう」って言って、ぶっつけ本番というように、そこでやるしかない状況、というのは、私にとって非常にチャレンジングなことですが、それをすごく楽しんでいるところもあります。
―― ということは、即興演奏のセッションのようなことは、このアジアン・ミーティング・フェスに参加するまで、あまり体験したことはなかったわけですか?
トゥイ いえ、何度もあります。2000年くらいからまったく新しいことにチャレンジしたと先ほどお話ししましたが、その中でいろんな音楽家の人と、伝統音楽の文脈を離れて、即興演奏のセッションをやったこともあります。
―― 福岡アジア美術館と昨日のせんだいメディアテークで、トゥイさんが楽器を弾かずに周りの演奏に耳を傾けている場面が多かったのが、とても印象的でした。そのことについてトゥイさんに聞いたときには、まわりの音がとても美しかったので自分が介入すべきではないと思った、と言っていました。それともうひとつ、自分の音はアコースティックで、鳴らしても聞こえないから、まわりに音量とか音圧で負けてしまう、とも。去年のAMFでは、同じように箏の奏者でありながら、ペダルを使って音量を増幅させたりしていたミュージシャン(ナタリー・アレクサンドラ・ツェー)もいました。トゥイさんはそういうふうにエレクトロニクスやアンプやエフェクターを併用するという方向にいくことはないんでしょうか。
トゥイ たとえばエフェクターを使ったりとか、ペダルを使って音を増幅させるようなこと、電子的なものや機械を使うことは考えています。ただそれは、単に音を大きくするためではありません。音を大きくすること自体は、別に大きくすればいいだけだから簡単な話であって、そういうことはあんまり考えていません。ベトナムではエレキ・ダン・チャインみたいな楽器も作られていて、それを使えばいいだけですからね。プラグを挿すと、ダーンって大きい音が出るようなものです。それだけではなくて、ペダルを使ったりして音を変えていくようなことはこれからやろうと思ってはいますが、それはやっぱり音の可能性とか楽器の可能性を広げて探求するためです。
―― とはいえ去年のナタリーは、ツアーが進むにつれ、だんだんボリュームペダルを使わなくなっていきました。トゥイさんは、始めから今までアコースティックだけで勝負していて、個人的にはそこが素晴らしいなとも思いました。
トゥイ AMFのみんなと一緒にやるのは本当に難しいですね。電気楽器やDJの人がいたりとか、みんないろいろなものを演奏している中で、私はこのアコースティックな楽器ひとつなので。でも、すごく楽しかったです。とても素晴らしいフェスティバルだし、やり方やキュレーションのされ方もとても面白かったと思います。