インタビュアー=須川善行+細田成嗣(2017年9月22日)
◯学校でノイズを学ぶ
―― テトさんの音楽的なバックグラウンドについて聞かせてください。
テト 6歳のころにクラシック・ギターを習い始めました。
―― なぜクラシック・ギターを?
テト 2003年にヤンゴンに音楽学校ができたときに、姉がヴァイオリンの先生をしていたんです。子供だったので、ロックやギターがやりたいといったんですが、クラシックのギターしかないといわれて、それをやるしかありませんでした。
2007年には、オーストリア人の先生に出会ってウッドベースを始めて、2008年から2010年までヤンゴンで習っていました。それから2010年に高校を卒業した後、シンガポールで音楽の学校に行きました。実験音楽やノイズをやる学科に入ったんですけど、ひどく後悔しましたね。最初の学期には「なんでこの学科を選んじゃったんだろう」と思っていましたが、二学期からだんだんいろいろなことがわかり始めて、今に至るという感じです。だから、こういう音楽はまだ始めたばかりなんです。
―― その後から現在に至るまでにはどんなことがあったんですか。
テト 2011年ごろから東南アジア、シンガポールやハノイで、ノイズのフェスティバルがたくさん行われるようになって、ノイズにふれる機会はとても増えました。そういうところで大友良英や中村としまる(no input mixer)を見ましたね。彼らはシンガポールで僕が通っていた学校でワークショップをやったりしていました。
2015年にヤンゴンに戻りましたが、そのころにはいろいろな人がヤンゴンでのノイズ・シーンに興味をもつようになっていましたし、僕自身も「こいつ、シンガポールでノイズの勉強をして帰ってきたばかりなんだ」と、みんなが呼んでくれるようになって、ヤンゴンのノイズ・シーンに徐々に参加していくようになりました。アート・ギャラリーの立ち上げを手伝ったり、フェスティバルを企画したりしてきましたが、そのためのプラットフォームがヤンゴン自体にないので、だったら自分で始めようということで、www.noiseinyangon.comというサイトを立ち上げました。
―― 今はエンジニアをしながら音楽活動をされているわけですね。エンジニアの仕事と今の音楽活動との関連について聞かせてください。
テト もともとシンガポールの学校では、オーディオ・プロダクションを勉強したかったんですけど、そういう学科がなかったので、ミュージック・テクノロジーという学科に入らざるをえなかったんです。一年生のときにオーディオ・テクノロジーの技術的なことを学んで、二、三年生になると、もっとクリエイティヴな音楽作りを学びました。
ヤンゴンに帰ってきてからは、そういう知識が生かせる仕事についたんですが、僕のバックグラウンドはもともとクラシックで、専門としてやっていたのは、合唱団とかクラシックのレコーディングでした。だから、実はロックとかヒップホップのようなレコーディングは全然やっていなかったんです(笑)。僕はマイクも大好きで、個人的な趣味としてクラシックの録音用のすごく高いマイクをいろいろ集めてもいます。
―― テトさんのお家は裕福だったんですか?
テト そんなことないですよ(笑)。その質問はよくされるんですけどね、「え、シンガポールに音楽を勉強しに行ったって? じゃあ、お前んちは金持ちなんだな」って。僕の父は画家で、高校を卒業したときにこう聞かれました。「お前は何をしたいんだ?」「僕はオーディオを勉強したいんだ」っていったら、学校を探し始めまして、最初はアメリカに行こうかと思ったんですけど、でもアメリカは学費がすごく高いので、それに比べると全然安いシンガポールに行くことになったんです。
◯ブライアン・オライリーの教え
―― 実験音楽を学べるコースがあるというのも驚きでしたが、最初は退屈だったとおっしゃいましたね。そのコースを選んだきっかけは何だったんですか? ノイズにふれたきっかけは?
テト まず、さっきいったオーディオ・テクノロジーを勉強したかったんですが、そこではいわゆる学位というものはとれないんですよ。でも、僕は学位が欲しかった、それがひとつめの理由です。そちらの学校に通っても3年かかるし、学位をとるのにも3年間かかるんなら、学位をとるだろうということで、オーディオ・テクノロジーをとる方向は選択肢として消えた。じゃあ学位がとれる学科ではどんなコースが選べるかというと、これは五つありました。作曲、クラシック、ジャズ、ポピュラー、それからミュージック・テクノロジーです。その5つの中からどれか、というときに、「テクノロジー」という単語を見て、おっ、録音が学べるぞと思って選んだんです。学科長のブライアン・オライリーという、わりと名の知れたノイズをやっている人が企画したコースだったんですね。
―― テトさん自身としては、もともとはクラシックやジャズの方がお好きだったんですね。
テト ジャズですね。
―― ミャンマーの伝統音楽には興味がなかったんですか。
テト 興味がないことはなくて、聴くけれども自分では演奏しなかったということですね。クラシックのレコーディングの方の仕事では、オーケストラや、伝統音楽や古典音楽を録音することはたくさんあります。
―― 前にジャズのベースが退屈で、そういうのは止めてしまったとも聞きましたが、ライブだとベースにパソコンを繋げて弾いた音をMIDIシーケンサーで変調していましたね。そういうスタイルに至った背景やきっかけを教えてください。
テト ジャズ・シーン自体がミャンマー、あるいはヤンゴンでは比較的新しいものなんです。せいぜい2006年~2007年ぐらいに始まったものですからね。それまでアメリカとの文化的交流はなかったんですが、フランスやドイツは文化施設の活動も活発だったので、フランスやドイツのジャズ・ミュージシャンはミャンマーに来ていました。僕はそこで勉強したり、ワークショップに出たり、いっしょに演奏したりしていました。彼らと演奏したり、新しい曲作りやスタイルについて学ぶのはとても楽しかった。でも、そういう施設がなくなった後には、誰もいなくなってしまい、地元のミュージシャンしかいなくなってしまいました。バーやカフェでスタンダードなジャズをやるしかなくなってしまいました。新しい音楽や新しいものを生み出す機運は消え、フリー・ジャズもフュージョンもなし。それで、もうちょっとクレイジーなことがやりたくなってきて、2014年くらいに今やっているような方向にシフトしてきたんです。
―― そういうスタイルを作るために参考にした方はいるんですか。
テト それはもう学校でブライアンから習ったことが大きいですね。そのクラスに入ってからもウッドベースでジャズを弾いていたら、「いやいや、音のテクスチュアで演奏しろ。スケールやコードなんか弾くんじゃない」と。そういう修練を積んだので、テクスチュアを重視する演奏に変わっていったんです。
―― ブライアンからそういう教えを受けても、ウッドベースにこだわる理由は何ですか?
テト なぜいまだにウッドベースをやってるのかと聞かれたときには、それが僕の旅路だから、と答えています。僕はシンガポールに行く前にすでに2年くらいウッドベースをやっていました。学校では他に誰も弾く人がいなかったので、僕は学校のウッドベースをほぼひとりで使うことができたんです。先生も実験的なウッドベース奏者で、彼からも習えるということもありましたし、これ以上にうまく弾ける楽器もないので、ウッドベースにはこだわっています。
―― ちなみに、ジャズを演奏していた時代には、どんなベーシストがお好きだったんですか?
テト ウッドベースを弾くようになるまでは、ジャコ・パストリアスがとても好きでした。ウッドベースを弾くようになってからは、ベーシストというよりバンドに興味がいくようになって。コルトレーンやハービー・ハンコックが率いていたようなグループですね。強いてベーシストを挙げるとしたらロン・カーターかな。僕は五弦ベースが大嫌いなので、四弦のプレイヤーが好きですね。
―― ノイズ・ミュージシャンとしては、どういうミュージシャンがお好きですか?
テト セドリック・ファーモンド(Cedric Fermond)というベルリンで活動しているノイズ・ミュージシャン、それから僕のシンガポール時代の学校で長年教えていて、今は東京で活動している実験的なドラマーのダレン・ムーア(Darren Moore)が好きです。
―― テトさんはミュージック・コンクレートの作品も作っていますが、自分のウッドベースのライブ演奏でアルバムを作られないんですか。
テト 実はいま出したいと思っていて、作ろうと思っています。ただ、今はヤンゴンでノイズのフェスティバルを企画したり、さっきいったウェブサイトを立ち上げたりといったことを全部自分のお金でやっているので、それがひと段落したらアルバムにとりかかりたいと思っています。
◯即興演奏にも練習とプランニングが必要
―― ミュージック・コンクレートを作ることと、このフェスでやっているような即興演奏とは、音楽を作る取り組みとして違う意識を持ってやられていますか?
M AMFに関していえば、ノイズのアプローチはちょっと違いますね。シンガポールの学校でノイズを学んでいたときには、楽譜はあったし、段取り(structure)やタイミングも決めていました。ずいぶんリハーサルもやりましたね。でも、AMFの場合は、ただ演奏するだけなので、アプローチとしてずいぶん違ってはいます。
ミュージシャンとしての僕は、かなりリハーサルもしますし、たとえば歌や照明のキュー(きっかけ)も決めますし、入るタイミングを待ったりもします。路上や外の環境の中で録ってきた音を使うこともあります。歌の準備をするような感じですね。曲を作る過程で、テーマやその曲がもつ詩的・心理的な意味合いなどについて議論もします。とにかく僕の場合は、ノイズ・ミュージックであっても一曲にかなり時間と手間をかけますね。
―― AMFのようなフリー・インプロヴィゼーションは、ふだんはほとんどやらないということですか?
テト 即興はやりますが、そのためにプランを立てるのが、いつもの自分の音楽のやり方です。今回に関しては、常にプランB(次の手)を考えていました。今回、ウッドベースは大きすぎるし、ケースもありませんでしたから、持ってくることが難しかったので、それぞれの会場でウッドベースを借りてもらえるかどうか聞いてみました。結果的にはOKだったので、それについてはプランBは必要ありませんでしたが、もしそれができなかったら、プランBとして、自分であらかじめヤンゴンでフィールド・レコーディングしたものを使ったパフォーマンスをやるつもりでした。
―― さっきのプランニングのお話はとても興味深かったです。そういう取り組みをしているノイズのミュージシャンは、日本にはそんなに多くないと思いますので。ミャンマーのノイズ・シーンでは、テトさんのように、ノイズを演奏するにあたって綿密にプランニングを行うミュージシャンは多いんでしょうか?
テト ヤンゴンにはいまノイズをやっているミュージシャンが13人います。その中でも僕と僕より年上の2人の計3人が、リーダー格みたいなかたちでシーンを牽引しています。その13人の中の8人は19~20歳のとても若い女の子です。コンサートの前やワークショップのときには、彼女たちに「練習しないで演奏に来るな」といっています。それは僕自身がいわれたことで、シンガポールの学校時代にも、先生に「電子音楽でも、ほかの楽器や音楽と一緒で、練習が大事だ。練習しないで習熟はできない」といわれていましたからね。同じことを、ヤンゴンに帰った僕が新しい世代のミュージシャンたちに伝えているわけです。
リハーサルの音を録ってSoundCloudに上げることもありますが、ライヴの録音は使いません。ライヴの音はノイズだらけだからです。僕の作品は、すごく静かな音や柔らかい音とダイナミズムがとても大切だからです。ですから、自分の音源を上げるときには、リハーサルのときに録音したものを使っています。
即興にはすごく経験が必要で、たとえば10年の経験がある人と経験も練習もしたことがまったくない人とではやはり全然違います。そういう経験がない人に何かやれといっても、どうしたらいいかわからないし、何もできません。そういう現場も実際目にしています。ですから、演奏するときに、出だしと終わりをきっちり決めたり何度も練習したりはします。「二、三分くらい経ったら君が始めてね」とか「終わりのときは、君は最初に出てね」とか、「クライマックスのところをこうして」というふうに。
―― そうすると、今回のアジアン・ミーティング・フェスでの演奏は、テトさんとしてはいかがですか? 楽しんで演奏できていますか?
テト いい面と悪い面がありますね。まず、まったく違った種類の音といっしょにやるのは面白いですね。ただ、会ったばかりの人といきなりいっしょに演奏するのはなかなか難しくて、僕は自分のウッドベースの音を知っていますから、それをそこに溶け合わせるために、ここだという瞬間をじっと待っていることもあります。僕が学んで来たやり方は、空間、ダイナミクス、それから音の密度を分け合う(give in)というものだったので、ハーシュ・ノイズ(強烈なノイズ音)を出したりはしないからです。共演者のやることを注意深く聞いて、正しいところでそこに入っていく、というのが僕のやり方なんです。AMFで演奏する場合は、ハードコアなときもあって、ラウドな音を求められることもある。指示を受けてノイズを出すことがあるとしても、それはそういう曲だからであって......僕はあまり好きじゃないね(笑)。
―― それでも会場ごとにやっていることは違いましたよね? 京都のメトロのときはそういう感じだったかもしれませんが、昨日(9/21)や福岡のアジア美術館では、ガンガン音を出さなくても聴き合うことでアンサンブルになっているように感じました。
テト おっしゃっていることはわかります。会場や日によってグルーヴや出す音は変わってきます。でも、AMFではクライマックスが多すぎる気がする。僕の曲だったら、ハーシュ・ノイズはクライマックスのみに使うでしょう。1曲にクライマックスはひとつあればいい。アコースティックな楽器のドローンみたいなものがあって、盛り上げていくところでハーシュ・ノイズを使っても、その他のところでは使いません。10分の曲だったら2回、6分の曲をやるんだったら1回、と決めておくのが僕の作品作りのスタイルです。
たくさん楽器があって、いろいろな奏者がいて、という中で演奏するときには、僕だったら料理のようなアプローチを考えます。素材がいろいろあって、自分だったらこれをこういうふうに使うので味が違う、というように。ただ、AMFの場合は和食のようなかたちでやらなきゃいけないんだね(笑)。