イ・カホ

P5710449.jpgインタビュアー=須川善行+細田成嗣 (2017年9月22日)

◯ 東洋の音楽と西洋の音楽

―― ユエン・チーワイがクアラルンプールに行ってカホさんにアプローチをかけたと聞きました。

カホ はい。チーワイが私の映像をYouTtubeで見つけて、いっしょにツアーをやりましょうという話を持ってきてくれたんです。でも実はアジアン・ミーティング・フェスティバルのことはそれ以前から知っていました。私はクアラルンプールに住んでいるんですが、とても仲の良い二人の友人が過去に出演していたからです。ヨン・ヤンセンとコック・シューワイです。だからアジアン・ミーティング・フェスティバルの動画も見たことがあって、とても面白い試みだと思っていました。チーワイから誘われたときは即答でOKの返事を出しましたよ(笑)。

―― カホさんの音楽的なバックグラウンドからお伺いできればと思います。

カホ 笛子(ディーズ)という中国の横笛があって、幼少の頃からそれに親しんでいました。毎日8時間ぐらいは笛子の練習をしていて、子供時代の大部分を笛子に費やしたと言ってもいいくらいです。

―― そのまま笛を学ぶために音楽大学に行かれたんですか?

カホ 実は、大学は美術系の学校を卒業しているんです。ファイン・アートの勉強をするために中国の西安に留学して、5年間かけて水墨画などの中国画を学んでいました。もちろんそのあいだも笛子の演奏はしていたので、そこで何ができるのかということもつねに考えていました。笛子は中国の伝統楽器なので、奏法にもいろいろな決まりごとがあります。その枠組みのなかで演奏するということは、どこかしら中国の伝統に則ったものにならざるをえません。ただ単に笛子を吹くだけでは、オリジナルなものを生み出せないと思ったんです。そこで、ひとつの解決策として、自分でも作曲をしなければならないと思いました。作曲した作品はひとまずは自分の音楽だといえるわけですから。それが作曲活動を始めるきっかけにもなりました。

―― カホさんの作曲作品は、いわゆる現代音楽に精通した書き方であるように思いました。同時に、西洋の音楽と東洋の音楽との違いがテーマになっているようにも。

カホ アジアでも大学などの機関で教えられている作曲技法は、やはり西洋の伝統に則ったものです。自分もそういう環境で学んできたので、基本的には西洋音楽の修練を積みましたし、現代音楽も学びました。ただ、私個人としてはアジアの民族音楽に非常に興味があって、民族音楽のリサーチをずっと続けています。たとえばマレーシアのボルネオ島にあるサラワク州にフィールドワークに出かけて、現地の民族音楽を調べたり録音したりしています。また、そこで集めた素材や研究結果をもとにして自分の作曲作品に取り入れたりすることもあります。ですから、違いそのものをテーマにしているわけではありませんが、自分の作曲作品には西洋的なものと東洋的なものが同時に存在しているような側面はありますね。

―― たとえばカホさんの作曲作品では、管楽器が特殊奏法を駆使していたり、フルートが息の音を前面に出していたりと、楽器を演奏する際のノイズの響きを強調するような書き方もされています。そういった要素を西洋音楽の文脈の中でどのように扱っていくのかが聴かせどころのひとつになっているように感じました。

カホ 西洋の文脈からいえば、ノイズを取り入れたり特殊奏法を駆使したりといったことは、今日ではすでに伝統的な技法となっています。東洋の方でも、たとえば日本の尺八は、息の音がとても重要な要素になっている楽器です。ちなみに私は尺八が大好きで、尺八のための作曲をしたこともあります。とにかく東洋の文脈では、ノイズや特殊奏法といわれる演奏は、新しい現代音楽的な要素というよりも、むしろ昔から存在する伝統的な技法です。ノイズをとりいれること自体は、西洋にとっても東洋にとってもすでに伝統的なものなんです。そこには邪魔なものや不協和なものが、それそのものとして美しいものでもあるという考え方があります。私はそういった不協和なものが美しいものでもあるという考え方を非常に大事にしています。

―― カホさん自身のパフォーマンスでも、特殊奏法やノイズをとりいれた演奏をおこなっていますよね。それはどこまでが伝統的な技法で、どこからがカホさん自身が開発したものなんでしょうか?

カホ ほとんどすべて伝統的な技法です。ただ、民族音楽に依拠したものが多いですね。たとえばさっきもいったように、尺八でノイジーな息の音を強調するのは昔からある技法です。私の場合はそれを笛子で演奏するときに、さらに倍音を出すテクニックも用いていますが、それは実はクラシック音楽の伝統的な技法なんです。つまり民族音楽のノイズを強調する技法とクラシック音楽のハーモニーを強調する技法を併せて使うようにしています。

―― 二本の笛を同時に吹いたりとか、スプリングドラムと笛子を組み合わせて演奏したりもされていますね。

カホ 二本の笛を同時に吹くのは、ローランド・カークをはじめ、けっこう多くの人がやっているポピュラーな手法です。一本を口で吹いてもう一本を鼻で吹く、というのは私の発明かもしれませんけどね(笑)。スプリングドラムは、空間の中で音が響く共鳴具合を、ヴァイヴレーションをかけることで変えていくために使いました。

―― 今回のツアーのライヴでは、チャルメラの旋律を素材にしたようなものもありましたね。京丹後のライヴでは鈴木昭男さんのサウンド・ツアーで巡った場所の響きをとりいれているかのような演奏もされていました。

カホ チャルメラの旋律をモチーフにしていたこと、よくわかりましたね(笑)。私はラーメンが大好きなんです。それはともかく、即興演奏をやるときはその場における経験とか感情がとても重要だと考えています。鈴木昭男さんのサウンド・ツアーでは、しんと静まり返った山中や波が打ちつける岸壁といった、自然が豊かな場所に連れていってもらいました。とりわけ山中の池を眺めていたときに聴いた、高いところで風に吹かれて葉っぱが揺れる音がとても印象的でした。静かな空間だったので、それがとてもよく聴こえたんです。その直後にやった京丹後のライヴでは、そういったさまざまな場所で聴いたサウンドを自分の演奏として生み出してみたいと思ったんです。

◯即興演奏で自分の感じ方や感情を表現する

―― 即興演奏を始めるようになったきっかけについて教えていただけますか?

カホ まだ若いころ、音楽フェスティバルに呼ばれて参加したんですが、そこには大勢のフォーク・ミュージシャンたちが出演していたんです。そしたらフェスティバルのオーガナイザーに、即興で彼らといっしょに共演してみないかといわれて、その場でセッションをやることになったんです。これまで楽譜にしたものが自分の音楽と思っていましたが、そこで自分自身の即興演奏をすることはできることに気がつきました。

―― オリジナルなものを生み出すための手段として即興演奏の可能性を見出したんですね。

カホ これは伝統的な音楽家たちに共通する問題だといえるでしょうが、楽曲や楽譜があると自由な即興演奏ができなくなってしまいます。そうした問題に挑戦したいと思ったんです。自分の感じ方や感情を表現しようとするときに、楽曲や楽譜がなければ自由な発想で感じ方や感情に従った音を出すことができる。そういうところに可能性を感じて、即興演奏に本格的に取り組むようになりました。

―― 即興演奏のセッションではどういった取り組みをされてきましたか?

カホ ミュージシャン同士で即興のセッションをおこなうだけではなくて、さまざまなジャンルのアーティストたち、たとえばダンサーのようなパフォーミング・アーツの人たちですとか、そういった音楽以外の領域で活躍する人たちともいっしょにやってきました。パフォーマンスをおこなう場所もコンサートホールだけではなくて、川や山だったり、路上やビルの中だったりと、いろいろなロケーションやシチュエーションでやっています。

―― カホさんにとっての即興演奏の魅力について、もう少しお話しいただけますか?

カホ 即興演奏ではそれぞれ異なるバックグラウンドを持った人たちが集まって、いっしょに音楽をやることができるわけですよね。なんの打ち合わせもなしに私がフォーク・ミュージシャンと共演したように。そうしたことは素晴らしいことだと思います。私自身の即興演奏のバックグラウンドのひとつにはクラシック音楽があります。クラシック音楽を作曲するときの技法が、即興演奏にも影響してくるんです。たとえばクラシック音楽では、あるモチーフを決めてそれを素材にして発展させていく、ということを紙の上に書いていくわけです。もちろん即興演奏するときに記譜はしません。けれども何かモチーフになるようなフレーズを見つけて、それを楽譜を使わずに自分の中で発展させていく、といったイメージで演奏しています。いいかえると、記譜することのない作曲というのが、私にとっては即興演奏をするときの感覚に近いのかもしれません。

―― その場で作曲することが即興演奏である、と......。

カホ いわばインスタント・コンポジションなんですね。ふつうの作曲ですと、私の場合はだいたい3ヶ月から6ヶ月ぐらいかけてひとつの作品を仕上げます。しかし、即興だとその場で仕上げまで終わらせなければならない。その場で瞬時の判断をしながらつねに作曲をしている状態です。だから、即興演奏をやるときには周りの環境がとても重要なものになってきます。たとえばこういう音をここで鳴らすとこういうふうに響くとか、こういった共鳴の仕方をする、といったことが、自分の演奏に大きな影響をもたらします。他にも自分のパフォーマンスを誰が観ているのかとか、どういったミュージシャンといっしょにやっているかといったことも重要です。そういったさまざまな要素がインスタント・コンポジションには働きかけてきます。周りの環境によって自分の演奏が変わっていく、むしろ変わらざるをえない、というところも即興の楽しさといえるでしょう。

◯即興演奏の面白さ

―― 今回のアジアン・ミーティング・フェスティバルでも、そういうふうに周りの環境を重要なものとして捉えているミュージシャンが何人かいますし、日本のミュージシャンでもそのように捉えている人々が増えていて、これはひとつの新しい波であるように思います。そこでお伺いしたいのですが、ソロ・インプロヴィゼーションのときは周りの環境と相互作用することを自分なりにコントロールすることもできても、他のミュージシャンと共演する場合にはそうもいかないことが多々あるでしょう。その場合後者の場合について、カホさんは具体的にどういうアプローチをなさいますか?

カホ 自分でコントロールしきれないこと、さまざまに異なるものがぶつかり合っていくことこそ、とても面白いことなのではないかと思っています。たとえばいまおこなっているこのインタビューでも、日本の文化に属している人がいて、私のようにマレーシアの文化に属している人がいて、さらに別の文化に属しているかもしれない通訳の人がいる。そうした異なる文化が複数ある中で、お互いにコミュニケーションをとっているわけですよね。そうしたときに、あるひとつの文化に全員が属していないとコミュニケーションがとれなかったら意味がありません。これは同じ文化に属する人たちの間でコミュニケーションをとる場合でも同じです。それぞれ違うということが非常に大切なんです。私があなたとコミュニケーションをとるために、私があなたになってしまったり、あなたが私になってしまったりしたら、それはコミュニケーションではなくなってしまう。個々のアイデンティティを保つということが重要です。それはパフォーマンスでも同じです。
 たとえば今回のアジアン・ミーティング・フェスティバルでは、それぞれ楽器や演奏技法も違えば、スタイルやバックグラウンドも違う人たちが集まって、いっしょに演奏しているわけですよね。そうしたミュージシャンごとの違いを保ったうえで、それぞれが自分のやり方を出していくことに面白さがあります。
 具体的な私の演奏に関していえば、たとえばある共演者があるフレーズを弾いたとします。そうしたら私はそれと同じフレーズを弾かないようにする。相手に反発しているわけではありませんが、その人とは違う自分なりのやり方で音を出すように心がけます。それでも長い間その人が同じフレーズを出し続けていた場合は、そのフレーズに共鳴するような感じのレスポンスを自分なりに出していくようにすることもあります。

―― それは大人数に増えても同じでしょうか?

カホ 同じです。大人数でやってもコミュニケーションを取っていくことは基本的に変わりません。たとえばこの部屋のなかに10人いたとして、そうすると3人のときよりも多様な個性があるということになります。ひたすらしゃべりたいだけの人もいれば、場をリードするような人もいるでしょうし、協調性を重んじる人もいるでしょう。とても恥ずかしがり屋でずっと黙っているけど、しゃべり出すと止まらない人もいるかもしれません。単におとなしいだけで全然しゃべらない人もいるかもしれませんね。そういったことはミュージシャン同士で集団即興をするときもいっしょです。おとなしい人は集団の中では埋もれがちですが、精神的に大人なミュージシャンはそういう人の優れた部分を聴衆にわかるように引き立たせることもあります。シャイな人の音楽をよく聴いて、どういう感じの音を出したいのかな、と考えて自分の演奏を変えていく、ということは私もよくやっています。そういうふうに即興演奏では、それぞれのミュージシャンが自分のアイデンティティを大事にしながら、ぶつかり合いつつも共振していくことで音楽としても成立してしまう。そういったところがとても面白いと思っています。