タラ・トランジトリ
インタビュアー=山本佳奈子(Offshore)
◯届けるために、全ての動きを音に反映させる
――音楽を始めた経緯について教えてください。
最初はパンク・バンドをやっていました。16歳ぐらいのときです。でもバンドっていつもみんなで合わせないといけないし、タイミングを待たないといけないことが多いので飽きてきてしまったんです。それで、一人でONE MAN NATIONを始めました。ONE MAN NATIONは、基本的に自分一人で、当初はパンク・ミュージックをギターで演奏していました。
――最初はギターを弾いていたんですね。
私の音楽活動において、最初の楽器はギターです。ギターで始めたONE MAN NATIONは当初アコースティックだったんですが、電子楽器を使用するようになります。それが2004年頃のことで、のちに完全に電子楽器に入れ替えて発展させました。始めはギターと電子機材を混ぜて演奏していたのですが、ギターを辞めました。ONE MAN NATIONとしての活動をいつ始めたのかは忘れてしまいましたが、だいたい2001年ごろだったと思います。
――ギターを辞めた理由は?
とても退屈になったんです。私にとっては、限界がある楽器に感じました。あと、なんと言うか、もっと自分の表現をそのまま届けられる楽器がいいと思ったんです。私にとってギターは、自分を表現できる楽器じゃないように感じていたんです。
――それで電子機材を使った音楽を演奏するようになったんですね。今日のセットでは、MIDIコントローラーなどと、ラップトップ・コンピュータもテーブルに置いていましたよね。ギターを弾くことを辞めて電子機材に移行してからは、変わらず今のセッティングなんでしょうか?
電子機材に移行してすぐの頃は、自分の演奏は最低だったと思っています。必要以上に作曲してしまっていて、エレクトロ・ミュージックをただ演奏しているようでした。自分が探していた本当の表現とは違いましたね。私の言うエレクトロ・ミュージックとは、音自体も含めた全てがアコースティック音楽とは切り離されているもの。だからこそ多くの人が、アコースティック音楽にないクリエイティブを求めてエレクトロを作るんだと思うんです。
楽器を演奏する音楽家としては、楽器をより自分に近い一部として演奏したい。ただ、コンピュータも、パフォーマンスするにあたって限界がある楽器だと思っています。でもコンピュータとはいえ、私はコンピュータに触れることができますし、その感触を感じることはできます。そして、自分がどのように触ったかによってレスポンスを得ることもできるのでは、と思いました。そこで、MIDIコントローラの中にコンタクトマイクを仕込んでみました。ギターでもバイオリンでも他の楽器でも、自分の手で触れることができて、その触れ方や弾き方を変えることによって出る音が変わります。私も、コンピュータで演奏するとき、他の楽器を演奏するときと同じような感触を得たいと思ったんです。それでコンタクトマイクを導入して、全ての動きを音に反映させ、インタラクティブな音を出しています。
また、コンピュータのスクリーンを排除しています。自分にとってPC画面のLCD表示ってマジで最低だと思ってて。視覚に入ることによって、自分の表現を直接アウトプットすることを妨げられてしまいます。それで、スクリーンがなくてもコンピュータを操作できるようにパッドを使い始めました。パッドのライトによって、コンピュータの中で何が起こっているか把握できるので、もうPCスクリーンは要りません。だいたい今のセッティングでの演奏を確立したのは2007年頃ですね。
――なるほど、それでラップトップを閉じた状態で演奏しているんですね。昔はどんな音楽を聴いて育ちましたか?
パンク・ミュージックです。
◯「私は観客の前でソロ演奏しない」
――電子機材で音楽を作ることに興味を持ったきっかけは?例えば、テクノを聴いていたりしたのかなと思ったんですが。
いえ、今までテクノなどの電子音楽にハマったことはないですね。パンクが原点です。
常に、自分の感情や感覚がどこにあるか、考えています。そしてその感情をしっかり届けられるような表現をしたいんです。パンク・ミュージックであれどんな音楽であれ、その音楽の様式のようなことにはまったく興味がありません。パンク・ミュージックとはこうあるべきだとか、電子音楽はこういうつくりだとか、私はそういうことには関心がありません。私の求めているものはもっとその外側のことで、音そのものなんです。
たとえ私が今パンク・ミュージシャンだったとしても、私が一番自分をトランスミットできる楽器としてコンピュータを使うと思います。
また、パフォーマンスにおいてもたくさん仕込みをしています。パフォーマンスを行うときには、全ての起こり得ることを用意します。私は観客の前でソロ演奏しないんです。だいたいパフォーマンスのときはフロアの真ん中で、自分を取り囲むすべてと共に演奏します。これは自分のパフォーマンスを周辺の環境も含めたコレクティブのようなものとして捉えているからです。
同じ空間にいる私たちは、それぞれ違った歴史を持っていて、それぞれ違う人生、またそれぞれに会話のプロセスがあり、それぞれの感情を持っています。また、パフォーマンスの瞬間には、それぞれの聴覚、視覚、臭覚において感覚がインタラクティブになります。そして、言葉がなくともそれぞれは何らかの感覚を私に送ってくるので、私はそれをパフォーマンスに落とし込みます。これがインプロヴィゼーションという形で、音楽になっていくわけです。
――では、昨日のアジアン・ミーティング・フェスティバル1日目のコンサートと、今日のサウンドチェックを終えてどう感じましたか?たくさんの音楽家が周りにいて、いつもの環境とは違ったんじゃないかと思います。
メンバーの数人の音楽家は昔から知っています。SenyawaのWukir Suryadi、dj sniffとは何年も前にオランダのSTEIMで一緒に演奏したことがあります。私がオランダに住んでいた時、即興と伝統をミックスさせた音楽を創作するための『The Future Sounds of Folk』というプロジェクトを立ち上げました。私はインドネシアに渡って、Wukirと出会って一緒に創作しました。最後には、当時STEIMで働いていたdj sniffがオランダに呼んでくれてWukirとツアーも行ないました。すべての私の音楽はインプロヴィゼーションですし、このプロジェクトも即興という手法から着想を得たものです。
質問の答えですが、昨日のコンサートと今日のサウンドチェックを終えての感想ですね。特に今日サウンドチェックした全員でのオーケストラ。個人的にはあんまりでしたね。(※インタビューはシンガポールでの2日目の本番前、サウンドチェック後に行なった。)私は空間と周波数を意識しています。これほど多くの音楽家と演奏するのは難しいですね。自分の音がどこであれば存在できるのかがつかめない。たくさんのものが空間を飛び交っていて、自分が演奏する必要がないように感じました。ただ、このオーケストラは芸術的に考えて決定したディレクションでした。しかし全部が死んでしまったように思います。私にとってのインプロヴィゼーションとは、もっと、会話のようなものです。もし『The Future Sounds of Folk』を見てもらえたら、私が持っているインプロヴィゼーションの考え方をわかってもらえると思います。音楽家が相互に反応して、真の音、真の音楽を、互いに演奏するんです。まさに会話ですね。
◯トランスウーマンとの芸術によるコラボレーション活動
――今はチェンマイに住んでいるとのことですが、なぜチェンマイを拠点に選んだんですか?
静かで、小さな町だからです。チェンマイでの日常生活が好きですね。チェンマイに新しいスペースもオープンさせる予定です。
――そのスペースについて教えてもらえますか?
2月3日にオープンする予定です。スペースは、女性の権利や人間の多様性にフォーカスしていて、パフォーマンス・スペースになる予定です。ここでは、アート界では一般的に抜け落ちている事柄について会話を重ねていき、それを東南アジアから始めていきたいと思っています。
※Taraが運営するスペース『extantation』のオープンは2017年3月17日に延期となった。
――『Translæctica』や『International //gender|o| noise\\ Underground』など、過去にオーガナイズされているイベントについてもチェックしました。これらもチェンマイで開催したそうですね。人権問題について主張するようなイベントも積極的に開催されているんですね。
『International //gender|o| noise\\ Underground』は、クィアに関する問題を扱っています。トランスジェンダーの人たちが集まる芸術的なイベントで、フェスティバルと言ってもとても小さなイベントです。
――Taraもパフォーマンスしていたんですね。
はい、出演者の中の一人です。
――音楽表現と、トランスジェンダーなどに関する問題への運動とを繋げて活動をしていらっしゃいますが、観客などからのフィードバックはどうですか?
良い反応を得られています。私が思うに、タイは、とてもクィアに対して寛容な国です。タイではジェンダーに関する問題はさほど多くないけれど、クィアにまつわるフェスティバルを行なう文脈があります。一方で、同じフェスティバルを中国でも行ったんですが、状況が違いましたね。中国では本当に押さえつけられている。ジェンダーに関する表現は抑え込まれて、異性愛者でない人たちの存在が見えなくなってしまっています。
2013年から、映像を集めているんです。いろんな場所へ行って、そこでトランスウーマンと会う。そして彼女たちの置かれた状況を理解する。会話集のようなものではありませんが、彼女たちと芸術的なコラボレーションをして創作しています。このコラボレーションでは、アナウンスもしなければフライヤーもつくらずに、その芸術表現をある空間で行ないます。そしてそれを記録する。ゆくゆくは、これを映像作品にしたいんです。たくさんの情報、時間、そしてお金がかかるので、かなり長くなりそうですし、難しいプロジェクトです。
ただ、チャンスは多くあります。中国でもトランスウーマンに出会い、彼女たちがどのように生きているのか聞くことができました。またコラボレーションの可能性も探りました。このプロジェクトでは普段の音楽コラボレーションとは違って、音ではなくアジェンダのみに基づいたコラボレーションをすることになります。どうやって出会うか、どうやってコラボレーションするか。思えば、もうこの3年間、このプロジェクトのための事例探しとコラボレーションの調整をして、映像を撮り続けていますね。