ダルマ・シャン

ダルマ・シャン

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インタビュアー=山本佳奈子(Offshore)

◯ギター歴30年以上、ギターでギターらしくない音を出す


――いつごろ音楽を始めたんですか?

 1983年からギターを始めました。

――え、今おいくつですか?私は1983年に生まれたんですが。

 そう聞かれると思いました(笑)。今47歳、1969年生まれです。ギターを弾き始めた頃は私はマレーシアのペナンに住んでいましたね。

――どういう経緯で演奏を始めましたか?

 ギターを始める以前、10歳の頃、とても音楽が好きで、よくElvis PresleyやBee Geesなど、ポップ・ミュージックを聴いていました。

――主にオールディーズですね。

 そうです。1977年頃だったと思います。そしてヘヴィ・ロックを聴くようになります。最初の出会いはAC/DC。ロックにハマって、自分も演奏したいと思うようになり、独学でギターを始めました。

――友達とバンドを組んだりしましたか?

 はい、15歳の頃、学校で初めてバンドを組みました。

――バンドでは、そういったヘヴィ・ロックを演奏してたんですか?

 そうですね。80年代のポップスやニューエイジ、ポストパンクにも影響を受けてました。ニューウェーブの直前です。

――それから、今のような実験音楽に近いスタイルになるまでどのような変遷があったんでしょうか?

 クラシック・ロック、ブルースなど、たくさんのバンドで演奏してきました。90年代に、電子音楽に触れます。90年代初期から後期のあいだです。電子音楽で新しい音楽が生まれてきたのですが、そういった音楽をギターで作ってみたいと思ったんです。でもその頃は実現しませんでしたね。でも、だんだんとギターでギターらしくない音を出せるようになっていきました。その挑戦が、自分において実験音楽を始めたポイントだったんだと思います。

――電子楽器を使うことを選ばずに、ギターを弾き続けたんですね。

 はい。ギターを使い続けています。キーボードを弾いてみたときもありましたが、ごく基本的な演奏しかできませんね。

――当時は、どうやって音楽に関する情報を手に入れてましたか?インターネットは使ってましたか?

 当時はインターネットではなく、ラジオで聴いたりしていましたね。2人のDJで進行するラジオ番組がシンガポールにあって、彼らが新しい音楽をかけてたんです。メインストリームでなくて、アンダーグラウンドな音楽を。

――シンガポールのラジオ番組ですか?

 そう、1989年からシンガポールに移住して、シンガポールのラジオを聴いていました。雑誌もたまに買っていて、そういったものから情報を得てましたね。友達からの情報もありました。何人かの友達はDJをやっていたりして、なので電子音楽やダンス・ミュージックとは近かったんです。当時、1990年代初期は面白い時代でした。ダンス・ミュージックが80年代とはガラッと変わりましたから。CDを買って、友達同士でCDやレコードを交換したりしていました。ただみんなそんなにお金を持っていなかったですから、目一杯聴けるわけではなかったですね。それが、今はダウンロードで聴けるようになった。時代は変わりましたね。



◯即興演奏とは、より自分を音にそのまま繋げることができる音楽表現


――シンガポールを拠点に活動するバンドThe Observatoryのメンバーでもありましたが、いつ頃から参加したのですか?

 最初期のThe Observatoryは、Vivian Wang、Leslie Lowと他のメンバーで構成されていました。メンバーが抜けたときに、LeslieとVivianが私をサポートギタリストとしてThe Observatory最初のライブに誘ったんです。ライブは2002年に行ないました。

――以前からLeslieやVivianのことを知っていたんですか?

 Leslieとは長い付き合いで、1990年代からお互いに知っていますね。Leslieは他のバンドをやっていて、私もバンドをやっていました。シンガポールの音楽コミュニティは狭くて小さいですから、お互いに知ってました。Vivianは2002年に初めて出会いました。

――それからThe Observatoryのメンバーになり、長い間The Observatoryのメンバーとして活動してきましたよね。10年以上在籍してたんですか?

 はい。2014年までメンバーでした。

――The Observatoryでたくさんのことを経験されたと思います。ソロ活動のほうはどうでしょう?The Observatoryと並行してソロ活動も行なっていましたよね?

 ソロ活動は2013年に始めたばかりですね。2013年はソロで録音した音源を発表したぐらいです。The Observatoryを抜けてから、ソロでもパフォーマンスするようになったんですが、単に今バンドに在籍していないから一人で演奏活動する、という感じですね。

――しかしThe Observatory時代も、即興演奏のセッションなどには参加していますよね?

 はい、The Observatoryでも他のミュージシャンとの即興演奏などをやってきています。

――The Observatoryの音楽と、即興演奏とで、スタイルがかなり違うと思うのですが、どのようにして即興演奏に挑戦するようになったんでしょうか?

 私の音楽のバックグラウンドはロックです。The Observatoryに参加する以前から、たくさんのバンドで演奏してきました。あらゆるロックには即興の要素があり、それが私も即興演奏をするきっかけになっています。例えば1970年代のロック、The Greatful DeadやJimi Hendrixなどには即興演奏の構造があります。だとするとThe Observatory以前のバンドから「即興演奏していた」と言えると思いますが、それはより伝統的な即興、つまりはギターソロぐらいのものでした。
 より実験的な即興演奏をし始めるのはThe Observatoryに入ったことがきっかけです。The Observatoryで、ついに"フリーインプロヴィゼーション"に触れます。それが2000年代初期です。
 音楽らしくなく、単にノイズで、単に音で、非常に面白く思えました。簡単に弾けるじゃないか!って(笑)。私は技術の高いミュージシャンではないです。でも聴くことができて感じることはできます。即興演奏とは、より自分を音にそのまま繋げることができる音楽表現なんじゃないかと感じました。それからは、もちろん様々な即興演奏を聴き、ビデオなども観て、アイディアを得ていきました。



◯特殊奏法による音程のコントロールと作曲への挑戦


――現在はソロ活動をしていますが、シンガポールでどれぐらいの頻度で演奏していますか?

 最近は少ないですね。今年はたくさん機会がありましたが、2ヶ月何もしない月もあれば1ヶ月に数回演奏する月もあります。あと、今年は初めてインドネシアツアーへ行ったんです。

――ツアーはどうでしたか?

 とても良かったです。ジャワからバリまで行きました。

――ツアーの記録はありますか?

 動画を撮影してきたので、いつかYouTubeにアップしようと思っています。音楽家5人でツアーしました。SenyawaのWukir Suryadiの友人でもあるギタリストのIkbal Lubysは私とは違ったスタイルでギターを弾くのですが、彼や他デンマークの音楽家などと一緒で、5人でインドネシアを回りました。
 低予算のツアーだったので、小さな会場を回ることになり、それぞれの会場は良い機材がありません。たまにもう少し大きなアンプやスピーカーで音を出したいと思うこともありましたが、そこにある機材でどうやって良い音を出せるか試される良いトレーニングになりました。オーディエンスは私たちのやっている音楽に大きな興味を持ってくれたようです。

――The ObservatoryとしてはPlayfreely(*The Observatoryが主催・企画する実験的な音楽やパフォーマンスに焦点を当てたフェスティバル。)のオーガナイズにも関わっていましたよね。

 The Observatoryに在籍しているときも、2012年から2014年にかけて、The Observatoryとは別で即興演奏のコンサート企画を友人と行なっていました。『Earthbound』というシリーズで、毎月シンガポールのVaultという会場で開催していました。そこにはサウンドシステムがあって、Tara Transitoryを呼んだこともあります。Lasse Mauhaugや外国からのアーティストも呼んでいて、LasseはLeslie Lowと一緒に演奏しましたね。出演者はほとんどが地元の音楽家でした。

――今もそのシリーズ企画は行なっていますか?

 いえ、今は開催していません。The Observatoryを抜けてからニュージーランドに一時期移って、それからストップしています。今はシンガポールに戻ってきたので再開も考えているのですが、車を手放してしまったので難しいんです。車でアンプや機材を運ばないといけないので、車なしでオーガナイズすることは厳しいですね。

――2日間、シンガポールでのアジアン・ミーティング・フェスティバルに参加してどうでしたか?

 素晴らしいラインナップで、すごい才能の音楽家に囲まれ、得難い経験をしたと思います。Senyawaに、JOJO広重さんに、大友良英さんに、すべての音楽家が素晴らしい。自分が一緒にいることを謙遜してしまうような、とても良い音楽家ばかりです。たくさん刺激を受けましたし、参加できて良かったです。特別な経験ですし、また、こんなに大勢のオーケストラで、ノイズを演奏するなんて。

――今回のメンバーにはギタリストが多いです。他のギタリストを見てどうでしたか?

 クレイジーでしたね!たくさんのギタリストがいますが、みんなが違ったスタイルで弾いています。どのギタリストも「他のギタリストとは違ったことをしよう」と意識してたんじゃないでしょうか。様々なギタリストに会えてとても良かったです。荒川淳さんも良かったですし、私とは違った弾き方をしている。あとSenyawaのWukirもギターと似た楽器を演奏しますが、彼は『ギターなんてクソ楽器だ!』って言いますから(笑)。

――荒川淳さんはDharmaのギターが好きだと言ってましたね。

 ありがたいです。私も荒川さんのギターが好きですし、Redd Templeも好きなんです。おそらく参加した全員が良い経験をしたと思いますし、同じような環境はなかなかありません。そして今夜のクアラルンプールですべてが終わるというのが、ちょっと寂しくもありますね。

――この先は、どのようなプロジェクトに参加する予定ですか?

 来年3月にThe Observatoryと協働します。シンガポールで、30名のギタリストによるコンサートを行ないます。国立シンガポール大学のプロジェクトで、それが2017年の最初の活動ですね。Leslie Lowがこのコンサートのために新しい曲を書いていて、また、The Observatoryの曲も演奏する予定です。

――ソロ活動の予定はどうでしょう?

 作曲とレコーディングを行ないたいと思っています。Bandcampでリリースする予定です。作曲においては、自分が演奏時に使うオブジェクトについてより理解を深められてきたと感じています。私はギターにオブジェクトを当てて演奏します。オブジェクトを当てるときに、それによって出る音の質はわかっていても、どんな音程が出るかは、まだはっきりつかめておらずコントロールできていません。ただ、練習を続けてきたことによって、だんだんと音程のコントロールの仕方がわかってきたんです。オブジェクトをどの位置に当てるか考え、だんだんコントロールできるようになりつつあります。何事も続けていけばより良くなっていくことを私たちは知っていますから、エフェクトに頼らずにピッチをコントロールすることを習得していこうとしています。それができると、ただのノイズではなくて音程のある演奏ができる。そうすると作曲も可能なんじゃないかと。これは自分にとって大きな挑戦になりそうです。すぐにできるかはわかりませんが、少しずつ実現させていきたいと思います。