スダーシャン・チャンドラ・クマー
インタビュアー=山本佳奈子(Offshore)
◯アーティストと子どもとの影絵劇プロジェクト「マイヌ・ワヤン」
――クアラルンプールで生まれ、今もクアラルンプールに住んでいるんですか?
そうです。
――楽器は何を使っているんでしょうか?
複数の機材を組み合わせてセットしています。エフェクトペダル、ノイズジェネレーターなどの信号を繋いでいってフィードバックループさせます。最後にはカオスパッドも繋いでいます。
――あと、今日サウンドチェックで見たところによると、足元でも何か踏んでいましたよね?
はい、金属かごですね。見た目は変ですが、食器洗い用のかごのようなものです。あれにもコンタクトマイクを仕込んでいます。私の使用機材のほとんどは電気信号を使う電子機材なので、何か、よりフィジカルで生身の音を加えたかったんです。
――使用機材はよく変えますか?また新しい楽器を取り入れたりする予定は?
現時点ではないですね。このセットでやれる限界をまだ試しています。おそらく最終的には望んでいなくても電子機材の寿命がきて、何か別の機材を取り入れなければならなくなるかもしれません。
――以前、クアラルンプールのスペースFINDARSでライブを観たことがあります。そのときはもう一人の音楽家とデュオ演奏をしていましたよね。
FINDARSでは数え切れないほど演奏していますが、私はどんな演奏をしていましたか?
――ハーシュノイズのような音を出して、あとヴォイスも使っていましたね。
デュオの相手は髭がありましたか?合っているかどうかわかりませんが、私がAzziefとやっているプロジェクトのHKPTかもしれません。HKPTはHello Kitty Pirate Tattooの略です。最近、HKPTではパワーエレクトロニクスのようなことをライブでやっています。爆発的な音に挑戦していて、私も今日使っている機材をあまり使わずに、ヴォイスを用いてフィジカルな表現をします。自分にとって、違ったアプローチをしてみる良い機会なんです。
――他のジャンルの音楽も演奏しますか?例えばメロディやフレーズのあるような。
はい、作曲もたまに行ないます。ただ作曲活動においてはパフォーマンスすることはほとんどないですね。現時点ではただ作曲し続けています。
――プロフィールによると、子どものためのシアター・プロジェクトも行なっているとか?
そうです。Main Wayang(マイヌ・ワヤン)というプロジェクトです。マレーシアのアーティストであるFairuz Sulaiman、Ayam Faredと一緒に行なっているコラボレーション企画です。影絵人形劇ワヤン・クリをフォーマットとして用いていて、子どもたちに15分の影絵劇をつくることを教えています。私は、子どもたちにサーキット・ベンディングを教えています。
――サーキット・ベンディングを?!
はい。子どものためのサーキット・ベンディングです。Fairuz SulaimanはライブVJを教えています。ワヤン・クリは、人形を使ったライブ・ビジュアルとも言えます。ライブカメラを用意して、子どもたちは人形をつくり、それを投影してスクリーンに映し出します。Ayam Faredは俳優なので、子どもたちに身体的動きや演技、空間での表現方法について教えます。集まったすべての子どもたちに私たちがレクチャーをして、そして子どもたちはそれぞれ1人15分の劇をつくるんです。
――Main Wayang(マイヌ・ワヤン)では、作曲方法も教えるんですか?
そうですね。でも作曲と言うよりかは、楽器をどうやって作るか、ということを主に教えています。そして、目に見えるものからどうやって即興で音楽をつけていくか。基本的な作曲は教えるんですが、どう即興するか、のほうが割合多く教えていますね。
――子どもたちは何歳ぐらいなんですか?
一番若くて10歳、上は最長で20歳の人もいます。だいたい13歳から17歳、ちょうどマレーシアでは中等教育の過程にいる生徒たちです。
――子どもたちの反応はどうですか?
みんなそれぞれで楽しんでいますよ。ときどき、本当に胸がいっぱいになるほど感動します。彼らを見ていると、本当にクリエイティブで、情感豊かで。
――なるほど。このプロジェクトは、NPOなどによる教育プログラムなんでしょうか?
Fairuz Sulaimanは当初Main Wayang(マイヌ・ワヤン)を、私を含む3名のアーティストによる個人プロジェクトとして始めました。マレーシアの数校を3人で回っていたんですが、そのあと、Fairuzが10代の子どものための大きなフェスティバル『Putrajaya Beila Festival』にアプローチしました。私たちが教えていた子どもたちのなかから1組を選び、そのフェスティバルの中で発表しました。でも、その後は私たちのできる範囲、小さな規模で続けています。学校へ私たちが行って、学内のプログラムとして劇を発表して、外で観客向けに発表することは今はしていません。
◯学校をサボるために始めたスタジオセッション
――音楽を演奏するようになったのはいつ頃ですか?
音楽教室に通い始めたとき、まだ幼かった頃で、確か小学生でした。7歳か8歳だったかな?私たちはオルガンと呼んでいるんですが、実際はオルガンではなくて電子キーボードのクラスに通っていました。それが私にとって初めての音楽体験でした。
――楽譜の読み方を習ったり?
教えてもらいましたよ。でもまだ私は幼すぎましたし、楽譜を読めるようにはなりませんでしたね。
――ただレッスンに行って、聴いて弾いて楽しむ感じだったんですか?
正直なところ楽しくなかったですね。押し付けられていたというか。子どもに達成感を得させるために級をあげていって、次はこのレベル、できたら次はこのレベル......っていう風な。餌を与えられているようでした。級をあがれなくなっていっても、まあそれで良いんですが。当時まだ幼かったですし、どうも何も感じていませんでしたね。
――どのようにノイズや即興音楽と出会って演奏するようになっていったんでしょうか?
はっきりと覚えていませんが、高校のときは友達とスタジオに集まってセッションしてました。学校サボってしょっちゅうスタジオに行ってましたね。学校サボるにはどこかへ行かないといけない、だからとりあえずスタジオに行って、セッションしてたんです。でもみんな楽器の弾き方を知らなかった。でもスタジオに行くという目的は学校をサボるために必要。そこで、私たちは楽器が弾けないなりに即興で演奏してました。私にとって即興演奏を始めた最初のポイントかもしれません。あと、他のミュージシャンやアーティストの曲を聴いて真似してみたり。
――その頃は、どんな音楽を聴いていたんですか?
初めて自分のお金で買ったアルバムはEminemでしたね。あと、KornとかLimp Bizkitなどのニュー・メタルを良く聴いていました。
――え?ちなみに何歳ですか?私は33歳なんですが。
29歳です。
――なるほど。若いですね。
その世代なので、ニュー・メタルはよく聴いていましたね。
――アジアの一部の地域では、海外のロック・ミュージックを聴くことが難しい地域もありましたが、クアラルンプールではそういったロック・ミュージックの一早い情報を知ることは簡単でしたか?
はい。世界の主要な都市と変わらないんじゃないですかね。インターネットが発展する前は良くCDショップに行っていました。お店で店員がおすすめの音楽を教えてくれて、そのCDを持って試聴コーナーに行くんです。ヘッドフォンでその音を聴いて、気に入ったら買っていく、っていう風に。店員がプッシュしたい音楽に偏りますが、そうやって音楽を聴いていましたね。
――今クアラルンプールでおすすめのCDショップなどはありますか?
最近は行かないですね。というのも、ライブを見に行ったときに物販で音源を買うほうが最近は好きです。そのほうがより人間的なやりとりで、気持ち良いですね。
――クアラルンプールで見たライブで良かったライブは?
PAKATAN HARAM JADAHです。もうしばらく活動していないバンドです。ドゥームとか、かなり重いヘヴィ・メタルを演奏していました。PAKATAN HARAM JADAHのライブで、ひとつすごく覚えているものは、ドゥームでストーナーで、赤だけの照明で、スモークが焚かれてて、とてもパフォーマンスとして素晴らしかったです。あと本当にでかい音で。もうしばらくPAKATAN HARAM JADAHのライブは見ていませんね。
――いいですね、クアラルンプールではたくさん良いライブが見れそうです。
確かにそうです。またローカルシーンにおいては、見たいライブを見に行くだけではなくて、友達がどういうことをやっているのか見に行っていますね。好きな音楽や人気者のライブだけではなくて、社会的な繋がりも意識してライブを見に行きます。自分にとっても少し考える間を与えてもらえるので、いろんなライブへ行くのが好きですね。
――バンドでも活動していましたか?
はい。バンド形態でよく演奏していました。数年前に解散しましたが、直近ではThink!Tadpole!Think!というバンドで、今と似たセットの楽器で参加していました。他にはドラム、ベース、ギター、ボーカルがいて、あとホーンセクション、たまにパーカッションも入って、ときどき10人ぐらいで演奏するバンドでした。
◯オフステージでの、音楽とは関係のない話が重要
――では今はソロでの演奏がほとんどですか?
一人で演奏することよりも、他の音楽家と一緒に演奏することが多いです。FINDARSで開催される、Kok Siew WaiとYong Yandsenによる即興演奏のライブシリーズ『SPIL(Serious Play Improv Lab)』でもたくさん演奏してきました。
――『SPIL』は毎月定例のライブシリーズですよね。
そうです。ソロで演奏するというと孤独に本当に一人で演奏する感じに思ってしまうのですが、『SPIL』シリーズでは、他の音楽家たちとランダムにグループを組んで一緒に演奏します。固定されない2名以上のグループでの演奏が多いですね。
――『SPIL』シリーズにおいて、他の音楽家から得たり共有することはありますか?またあれば、どのようなことでしょうか?
たくさん演奏して、たくさん音楽家たちと話してきました。ステージの上だけで時間を共に過ごすわけではないのです。深く関わっていくにはオフステージでの会話の時間がとても重要で、アイディアや情報を交換したりしています。また、この数年、みんなで一緒に演奏していて変化していることも見受けられます。音に変化が現れることも、この場での会話の中から生まれたアプローチの変化だったりすると思います。
――Asian Meeting Festivalと良く似ているのかもしれませんね。
そうとも言えるかもしれません。
――『SPIL』で音楽家たちが会話していることって、例えばどんなことですか?
良い質問です。音楽とは関係のない話をしばらくしていたりしますよ。個人の性格のことだったり、普通の暮らしについてのことだったり、人生においての岐路のことだったり。音楽についてどうだったかという話をしなくても、どのように音楽にアプローチしていくかの感覚を得ることはできると思います。人との結びつきをつくっていき、ただ一緒に時間を過ごすこと。音楽について語らずとも、それがゆくゆくは自分たちの音楽に影響を与えていくんじゃないかと。
――即興音楽家たちによるコミュニティを形成している感じに近いのかもしれませんね。オーディエンスはどのような反応をしていますか?
グループで来てくれるお客さんもいますが、リピーターは少ないですね。一度来て、また再び来てくれたお客さんって見たことないかもしれないです。たぶん、実験的な音楽を体験することを、経験値のひとつのように思われているのかもしれません。月に一度実験的な音楽を経験すれば「よし、実験的な感じを味わった」とか......
――日本では、実験音楽の小規模なコンサートでは来るお客さんがだいたい一緒だったりしますね。みんながリピーターと言うか。なかなか新しいお客さんが来ないです。
実際にはリピーターもいるんですが、彼らは音楽家だったりスペース運営者だったり関係者です。純粋なお客さんでは、ほとんどリピーターはいません。
――Asian Meeting Festivalに参加することになって、どう感じましたか?
光栄です。大友良英さんの音楽は、17歳か18歳ぐらいの頃から聴いていますから、共演することが出来てよかったです。また他のすべての音楽家、The Observatoryとも一緒にプロジェクトに参加して、同じステージに立てるということがうれしいですね。
――これから何かプロジェクトを東南アジアで行なう予定はありますか?また、シーンを活発にするために、何かアイディアはありますか?
状況はこれが普通だと思っています。今自分がやれることは、ただひたすら演奏し続けること。シーンの背後にある構造についても考えていたことがあり、その構造に注目していました。でもそうすると、自分の集中力が、ここ、あそこ、と散漫になって、一つのことに集中できていないんです。例として、クアラルンプールのスペースFINDARS。今あそこのスタッフはスペース運営に集中しています。前までは、音楽家たちがスペース運営を兼ねていたりしたんですね。彼らが兼業をできなかったと言うわけではなくて、広げていくためにはひとつの役割に徹したほうが良い結果になる。そういうことを最近考えたので、自分に置き換えても試していこうとしています。