デュト・ハルドノ

デュト・ハルドノ

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聞き手=須川善行


―― さいたまトリエンナーレの「アンサンブルズ・アジア・スペシャル」でやろうとしていることを具体的に教えてください。

 今回のご招待では、一般の人を巻き込んでワークショップをやること、そのプレゼンテーションを行うこと、その結果として何かのパフォーマンスをやること、という旨の依頼をいただきました。みなさんとDIYで、かつて自分で作ったカセットテープのループを作るというプロジェクトをやることにしました。そしてそのカセットのループで、みなさんと即興演奏をやることにしました。
 実は私は、6、7年前からカセットテープをメディアとして使っています。そのメディアだったら掘り下げられると思って選びました。もしかすると、私の特徴は、もともと絵画を勉強していたことかもしれません。学士の学位はヴィジュアルアート、美術でとりました。2007~08年にかけて修士の勉強をしていたときには、より音にフォーカスを当てるようになりました。サウンド・インスタレーションやパフォーマンスですね。でも、その前にペインティングをやっていたころから、キャンバスの上で絵を描いていくような、いわゆるペインティングはやっていませんでした。そのころからすでにファウンド・オブジェクトやレディメイド・オブジェクト、たとえば拾った木のかけらにペインティングするようなことを行っていました。

ーー 一般の方と共同作業をするようになったのはいつからですか。

 ワークショップとして始めたのは今年の始めからです。ですが、前に作ったインスタレーションでも、観客参加型のものがあって、観客にその自分の作品といろいろ関わってもらい、作品の一部になってもらったことがあります。2013年にジョグジャ・ビエンナーレの招聘でエジプトのカイロに行って、1ヶ月のレジデンシーの機会に恵まれました。そこでは何らかのリサーチをして作品を作ってほしいということになって、エジプトのポップなカルチャーと音楽をリサーチしました。
 ちょうどそのころエジプトは興味深いといえば興味深い、大変な時期を迎えていていました。1年に2回も革命が起こったのです。政治的にも大きく変動し、毎日の生活もめまぐるしく動いているようなときにエジプトにいたので、それにとてもインスパイアされたというところはあります。
 そこで、エジプトの60~70年代の音楽のLPレコードをたくさん集めて、それを元に作品を作りました。まずレコードを半分に、Cの字のように切ったものでインスタレーションを行い、その半分に切ったレコードを観客に自分の好きなようにくっつけてもらい、それをターンテーブルで自由に再生してもらうというものでした。革命にインスピレーションを得た作品で、「C.C.レコード」というタイトルです。全部正確に真ん中で切ってあって、観客は好きなように半分に切ったレコードを組み合わせて、完成させます。会場では、実際にそうやって作ったレコードが回っているところを上映しています。
 アナログのレコードは、RPMで回りますよね。この言葉は、revolution per minuteの頭文字をとったものです。レヴォリューションは回転という意味ですが、もちろんこのことばには革命という意味もありますから、1分間にどれだけ回転するか、というのと、1分間にどれだけ革命が起こるか、というふたつの意味があるのです。1年間に2回も革命が起こったら、とても恐ろしいことですが、同時に希望に満ちたワクワクする状況でもあるでしょう。半分の円では足りないので、みんなに分断された半円を合わせてもらって、ひとつの完全な革命にしてもらおうというアイディアです。
「C.C.レコード」というタイトルも、ダジャレになっています。エジプトでは革命が2回あって、最初の革命はイスラム教の革命派によるもので、最初の大統領に選出されたのは、ムハンマド・ムルシーでした。その革命の後に、今度はアブドルファッターフ・アッ=シーシーという将軍が軍のクーデターを起こしました。エジプトの半分はこのシーシーによって国が壊されたと考えていますが、後の半分にとっては彼は英雄で、みんな「C.C.」とニックネームをつけて呼んでいたということにもひっかけています。
 スウェーデンのパンク・バンドで確かリフューズドという名前だったと思いますが......彼らの歌で「踊れない革命になんか意味ないよ」というような意味の歌詞があり、それにもかけています。この作品を観に来てくれた観客は自分たちが好きな革命を選べて、その革命で踊れるのです。

―― 今回のカセットも同じような意図があるんですか。

 カセットテープ自体は自分が選択する武器のようなもので、もともとの自分の興味は、人間と時間の関係にあります。2010年にバンドゥンではじめて個展をやったときにも、ずいぶんたくさんループという概念について話しあいました。ループというアイディアそのものが、人間と時間の関係のメタファーとして使えるのではないかと考えていたのです。
 今回ループのインスタレーションをするのに、カセットテープというメディアを使うことにしたのは、まず見た目にわかりやすいからです。カセットテープだと、どうやってループしているのか、メカニズムが直接見てわかります。見て実感することによって、人間と時間の関係というコンセプトについて話を進めていくことができるのではないかと思ったからです。
 もちろん、デジタルなメディアでもループを作ったり、それを見せることはできますが、アナログでやる方が効果があると思っています。私はレディメイドやファウンド・オブジェクトをサウンド・インスタレーションやパフォーマンスの作品に使っていますが、それらは人間が何かを成し遂げたものの結果としてある人工物[アーティファクト]です。これは時間をめぐる話になりますが、現在、未来、過去を行きつ戻りつして考えるときに、人工物を扱う意味があると思っています。

―― その意味とは何でしょうか。

 いま聞かれたことは、プレゼンテーションでも他の具体的な例を交えてお話ししたいと思っています。私たちの今の状態はすべて過去にいろいろなアイディアを選別し、あるいは捨ててきたことの積み重ねの上に成り立っています。過去に間違いを起こして、そこから学んで今がある。ですから私は、いわば他の経験から新たに何かを作る土台のようなものとして、レディメイドやファウンド・オブジェクトのことを捉えています。例えば、過去にカセットテープがなければ、そしてカセットテープでいろいろな人がやった実験がなければ、今のデジタルの世界やメディアはありません。私たちは、そこから出発したのです。自分自身でもそういうことを行って、メディアとの関係性を築いていきたいと思っています。

―― カセットを切り貼りしてループさせることについて、少し詳しく聞かせてください。音源はランダムに繋ぎあわせるのでしょうか、それとも何らかのルールの上で一つのループを作ることを目指しているのでしょうか。

 参加者に自分のテープを持ってきてもらうようにお願いしています。カセットテープとは、ほとんどの人が子どものときに何らかの思いをもって集めた個人的なものですし、もしかしたら子どもの頃の思い出が詰まっているかもしれません。自分の過去と関係するようなものです。それがこの作品のコンセプトでもあります。
 テクニックとして、繋げてループにして、音が鳴るためにどうすればいいのか、といった基礎的なところはこちらから教えます。どうやって繋げないといけないのかとか、長く切れば長いループが、短く切れば短いループができるといったことですね。ただ、それ以外は、参加者自身に自分で決めて選んでもらいます。どうやって過去のものを再利用して、どういう音にしたいのか考えながら進めてもらいます。
 私にとって、ループとは記憶の破片をつなぎ集め合わせたものです。私たちの記憶は、決して写真のように完全な場面が記録されているものではなく、何らかの瞬間の場面や部分を覚えているわけです。その部分と部分、記憶の破片を繋ぎあわせるためのものとしてループを考えているのです。
 実際にみんなにそうしてループを作ってもらって、それができたらみんなで演奏します。それもいっせいに再生するのではなく、みんなで話し合ってどういう順番で、例えばどのループとどのループを同時に再生させるかなどを話し合って、みんなで作曲していきたいと思っています。そうすることによって、参加者の皆さんもに自分自身の記憶と何らかのコミュニケーションをとることになります。
 あとは音楽の基礎に立ち返り、音楽を演奏するということ。つまり、聴いて、それに応答すること。自分自身の記憶を元にみんなでジャムをする、演奏するということだと思います。

―― 先ほどのエジプトの展示のお話を面白くうかがいました。それに政治に関心をお持ちだということもわかりました。こういったことをインドネシアの本国でやろうと思ったことはありますか。

 自分自身は政治で起こっていることに関して何らかの宣言をするとか、自分のスタンスを示すつもりでやってきたわけではありませんし、そんなに興味はないのですが、政治そのものの概念には興味があります。
 実際に革命を体験しているエジプトのただ中に自分の身を置いた時に、アーティストとして自分の回りに起こっていることに対して、どのようにセンシティブでいられるのかは自分にとって大事なことだと思いました。このときはジョグジャ・ビエンナーレの招聘で行ったわけですが、このときのテーマは「赤道」、特に中東とインドネシアとの関係についてでした。そのジョグジャ・ビエンナーレを通して、私はエジプトをめぐるプロジェクトを実際に提案し、実行したわけですから、政治的とも言えるかもしれません。
 私は作品を通じてポリティカルなコメントを発信するということはあまりやっていません。コンテクストの中で政治的な状況が参照されることはありますが。ひとつそういう例があります。2011年に、上海ビエンナーレが行われたときに、日本の小泉明郎さんとコラボレーションしました。ご存知の通り、小泉明郎さんは政治的な作品で知られていて、いつも論争を巻き起こすような作品を作っています。彼とは2011年のAITアテネ新宿東京のレジデンシーで知り合いました。実は自分のバンドゥンでのハウスメイトの友達だったことがわかり、小さい世界だなと思いましたが一緒に何かやりましょうということになりました。
 上海ビエンナーレでは、日本がインドネシアを占領していた時代の過去の関係性について扱った作品(「Sync: Thank You」)を作りました。その時代の歴史は暗いもので、いろいろな意見があったと思います。その作品は2週間だけ展示されて、その後は検閲が入ってしまい展示は中止になってしまいました。
 しかし、展示が中止になったことは、私たちは上海からまったく報告を受けていませんでした。上海ビエンナーレに行ったインドネシアのアート・コレクターから、「あれ、君の作品、ビデオが止められて音だけ流れていたけど、どうなってるの?」と開幕から一ヶ月も経って聞かされて、ビデオを停止されたことを知りました。あれは直接的に政治的な作品だったと思います。