ナタリー・アレクサンドラ・ツェー
聞き手=須川善行◯古箏を学ぶ
――SAのアルバムとオブザヴァトリーの『コンティニュー』というアルバムを聴いて、強い印象を受けました。要は伝統的な音楽と現代的な表現が新しいかたちで融合していて、同時にそれぞれが少し違うアプローチをとっているということにいろいろ考えさせられました。
さて、ナタリーさんの音楽的背景について聞かせてください。音楽を始めるようになったきっかけは何ですか。
ピアノは4歳の頃から始めました。香港や日本、シンガポールでは典型的な始め方ではないかと思います、アジアの国は西洋の影響をかなり受けているので。自分の場合は、年上のいとこがピアノを弾いていたのを見て、自分でも音を出したくなって、始めることになりました。家族もそれを支えてくれて、YAMAHAのジュニア音楽コースに進みました。家族は伝統的な中国系の家族でしたが、私は両親とは一緒に住んでおらず、おばあちゃんが育ててくれました。私に中国語の読み書きを教えてくれたのは、おばあちゃんです。在学中にYAMAHAの音楽のコースはプレミア3まで進級したので、中国のオーケストラ(華楽団)と接触できるようになりました。中国のオーケストラは、西洋の交響楽団の形を真似たものですが、そのために作られる曲は中国色が濃いものです。
そのころ学校で、週に2回学校の授業以外の活動をするようにといわれて、古箏を習い始めました。おばあちゃんが、学校の勉強では時間が短すぎるので個人レッスンを受けた方がいいと判断して、ピアノのほかに古箏の個人レッスンも受けるようになったんです。でも、通っていたのはごくふつうの小学校で、特に中国の伝統音楽を習う学校に通っていたわけではありません。
シンガポールの大学では音楽の勉強はしませんでしたが、修士は音楽で取得しました。学校の授業が終わってから中国のオーケストラに参加して、在学中ずっとそこでの活動を続けていました。シンガポール・ポップ・オーケストラでは、去年亡くなったイスカンダ・イスマイルが指揮を務めていましたが、中国・マレー・インド系、それぞれの楽器や西洋の吹奏楽の管楽器、弦楽器、打楽器をまとめて教えてくれました。このグループの一員として、ロシアのモスクワで演奏をすることができ、自分にとっても貴重な経験をしました。自分は何ものでもないし、音楽の勉強もしてなかったのに、シンガポールで有名な音楽家と一緒に演奏することができてとても光栄だと思いました。シンガポール人の音楽家たちは私にとって恩師のような存在で、これまで身につけていたものから離れようと考えたときに指導者となってくれた人たちです。
それからもう一つ、大学在学中にWOMADという世界的に有名な音楽フェスティバルに参加して、西アフリカのパフォーマーと共演する機会がありました。ふつうの音楽の学習法は、練習を続けて、先生がどこがよかったか悪かったのか指摘をしてくれるというものですが、アフリカのパフォーマーと演奏したときは自由でした。そのときに、自分でも即興をできることがわかりました。当時はわかりませんでしたが、振り返ってみると、そのときに音楽などの知識は必要ないと感じたんですね。
◯古箏とはどんなものか
――古箏はもともとどういう状況で演奏されるものなんですか。
私の理解が間違っていなければ、もともとは知識階層のものです。儒教の影響を受けた楽器で、とてもプライベートな自己研鑽のための楽器です。いま弾いているこの楽器は現代のものですが、歴史が古い楽器なので、弦の数が違ったりするいろいろな種類のものが作られています。
――ふつうのものは弦が12、3本と思いますが、ナタリーさんのお使いになっているものはもっと弦が多いですね。
21弦の古箏は現代の楽団で使われる楽器で、今もってきているのは旅行用の小さいものです。伝統的な楽団用の楽器は私の身長よりも大きいくらいで、エレクトロニクスやアンプを使うときは小さめのほうが使いやすいんです。伝統的なオーケストラ版のものは音を出す部分がとても大きくて、こちらの思っていなかった響きまで出てしまうのがよくないところでした。前に使っていた楽器もエレクトロニクスに合うように改良していました。
日本の箏と古箏は歴史的には同じ道のりを辿ってきながら、それぞれの場所特有の伝統の中で発展してきたものです。かつては演奏するのは右手のみで、左手は弦を押さえるだけでした。左手で伴奏を弾くというのは、20世紀になってから始まったことなんです。演奏中にブリッジを動かして、音階を変えたりすることもたぶん珍しくはないのですが、西洋の影響を受けた現代的な演奏法と思われているかもしれません。古箏はもともと長調の5音階しかないものだったんですが、現代のソロの曲では、スケール(音階)を変えることがあるため、ブリッジを少し動かしたりすることがあります。今回、来日してからのショーでも、毎回面白いのでいろいろとスケールを変えています。これは何かの本に書いてあったからとか、音楽理論から学んだことではなくて、楽しいからやってるんですけど。ただ、今使っている小さい楽器ではあまりスペースがないので、動かす範囲は限られていますね。
◯現代的な表現へ
――大友さんやチーワイさんがやっているようなノイジーな即興に触れたのはいつですか。
いつも異なる音楽に興味を持っています。修士号の取得は香港の大学院に通っていたときに、いろいろな音楽を経験しました。メタルバンドで大声を上げるような友達もいて、ギグでその人たちの表現を見て、考え方が変わったと思います。そのときに、ノイズや即興をはじめて経験しました。SAというバンドはまだ3年しか経っていませんが、1年目の終わりくらいにスタイルが変わりました。練習中に即興を試したり、劇団と一緒に仕事をしたときにはノイズもメロディも出すようなって、自分たちが表現できる音に制限はないのではないかと気づき、音を追求していきたいと思いました。それは大友さんやチーワイがやっているように音だとかヴァイブレーションを探していく作業と同じではないかと思っています。SAのバンドのドラマーのシェリル・オンは、オブザヴァトリーとしても活動していて、そこで新しいスキルを学んだら自分たちともシェアしてくれるので、自然な流れでノイズや即興を入れるようになったのではないかと思います。
――ループなどのエレクトロニックな装置を使った表現は、SAを結成してから始めたんですか。
一番最初に組んだバンドは6人組で、私と夫のアンディのフルートとギターとドラムとベースとキーボードという編成でした。そのときに、私たちはシンガポールで生まれ育った中国系の人間で、中国で生まれ育った中国人ではないので、そういった文化的アイデンティティをもつ私たちにとって、どんなことができるか試してみたかったんです。中国の楽器のために作られた曲は、ソロのものであってもオーケストラ曲であっても、中国の特定の景観や風土に関するものが多く、中国人が演奏するための曲だと思いました。それを真似はできるのですが、自分たちが考えたことをそのかたちで表現することは、文化が違うのでできないと思っていました。自分たちのアイデンティティも含めて探りたいと思っていたときに、夫がエレクトロニクスを使ってみてはどうかと勧めてくれたんです。アンディは音楽学校で教育を受けていますが、自分はそうではないので劣等感があって、新しいことを試すよりはもっと練習したほうがいいのではないかと考えていたんですが、夫が勧めてくれたのでやってみることにしました。当時のバンドは6人組で、マネージメントもツアーも大変だったので、3人に減らして中国的な要素をもっと取り入れていくことにしました。ベースとギターとキーボードをなくして、シェリルが参加しました。ノイズ・シンガポールというコンテストで優勝したことも励みになりました。私たちが参加するまでは、シンガーソングライターやバンドが優勝することが多かったんですが、私たちがはじめて中国の伝統的な楽器を使って勝者になったんです。それで、エレクトロニクスも含めてもっといろいろなことを試してみようと思いました。
◯毎日違う実験を
――今回のフェスでみなさんと演奏してみた感想は。
とても面白い経験ができたと思います。とにかくインスピレーションを受けました。日本で演奏したのは今回が初めてなんですが、去年、大友さんがシンガポールに来たときに聴いて面白いと思っていたので、日本に来られて光栄です。チーワイさんのことは、いつも静かで物腰も丁寧でとてもフォーマルな感じなのでちょっと怖いなと思っていますけど(笑)。
実際には、アジアン・ミーティング・フェスティバルで演奏したいかと訊かれたわけではなく、日程は空いているか尋ねられただけなんです。来日が本決まりになってからフェスで演奏できるとわかって、うれしかったですね。ソロはこれまでにたぶん10回以下しかやっていないんですけどね。6回演奏することは聞いていましたが、それがソロなのかグループなのかなどの詳しいことは日本に来るまで知りませんでした。実際演奏することになると、毎日フォーメーションが違っていて驚いたし、新鮮な経験ができました。今回、バラバラの国や地域からやって来ていて、性格や個性も違いますし、毎日組み合わせも違っていて、アンサンブルになるときもあればソロのときもあるし、毎日違う音楽を聴くことができました。そして、自分に何ができて何ができないのか、どうやってこれから自分の実験をしていけばいいのかわかったような気がします。それはまさにここでしかできない経験でした。
商業目的のフェスティバルでは、ミュージシャン同士の交流がまったくないこともあるんですが、今回は会話や対話をすることができて、とてもよかったと思います。劇団の場合はワークショップの期間があって、脚本や見た印象などについても話し合う期間がありますが、音楽界にはこれが欠けていて、私はそういうことが大切なものだと思っています。
――SAはシンガポールだけで活動しているバンドですか?
国に対して助成金を申請ができるので拠点にしてはいますが、去年はフランスのパリと南部に行ったり、中国やタイに行ったり、アメリカのサンタクルーズのフェスに参加したり、盛りだくさんでした。
――ありがとうございました。