クリスナ・ウィディアタマ
インタヴューア=大石始
◯ジョグジャカルタはダイナミック!
――まず、アジアン・ミーティング・フェスティバルに参加した感想を聞かせてください。
今回、初めてノイズ以外の音楽家と仕事をしたんですよ。みんな能力の高い音楽家ばかりですし、ユニークな表現者ばかりでした。
――インドネシアではノイズ系以外の方とコラボレーションすることはあまりないんですか?
あまりないですね。インプロヴィゼーションをやるにしても、ふだんインドネシアでやっているものと今回の演奏では、かなり違うものになったと思います。ジョグジャカルタやジャカルタで「KOMBO」という即興演奏のプログラムを友人が運営してるんですけど、それとも違う。
――アジアン・ミーティング・フェスティバルで使用していた機材についても教えていただけますか。
ペダル・エフェクト、自作のシンセサイザーとハンド・コントローラー、コンタクト・マイク、それとビールの缶で作ったメタル・ジャムです。
――演奏中に鉄の塊をグチャグチャッと握りつぶしていましたが、あれがメタル・ジャム?
そうですそうです。
――ふだんインドネシアでやっているものを持ってこられたということですか?
違いますね。もちろんふだん使っているものも持ってきていますが、私は毎回セットアップを変えるので、今回のセットアップはアジアン・ミーティング・フェスティバル用に用意したものです。
――わかりました。クリスナさんの経歴についてもお聞きしたいんですが、1983年、デンパサール生まれですよね?
そうです。
――今はジョグジャカルタ在住?
そうです。2002年、ジョグジャカルタ芸術大学に入学するためジョグジャカルタに移りました。それまではジャカルタ。生まれてから8歳まではデンパサール、その後ジャカルタに移って、大学進学でジョグジャカルタに移ったということですね。
――デンパサールで生まれ育ったということは、クリスナさんの表現やパーソナリティーに影響を与えていますか?
いや、デンパサールよりもジョグジャカルタでの経験のほうが影響しているかもしれませんね。デンパサールは伝統的なバリの文化圏に属していますし、多くの人がそこに囚われています。でも、ジョグジャカルタはもっとダイナミック。だいぶ違うんですよ。
――クリスナさん自身は、デンパサールの伝統的な文化から影響を受けていない、ということですか?
そうです。
◯アンダーグラウンド・カルチャー
――では、そうしたデンパサールの文化に対しては、どのような感情を持っていたんですか。たとえば、子供の頃から早くそんなデンパサールから出たかった?
別に嫌いだったわけじゃないんですけど、それ以外のものに興味があったんです。周囲にはパンクやメタル、それとアンダーグラウンド・カルチャー全般に関心を持つ友人たちがいたし、彼らからの影響で私もそういったものに興味を持つようになりました。
――では、そのなかでもっともインスパイアされたものは?
一番最初に好きになったのはソニック・ユースです。明らかにそれまで聴いたことのない音楽でしたし、すぐに「こういう音楽をやりたい」と思いました。それからどんどんノイズのようなエクストリームなものを聴くようになって、そのなかで日本のノイズとも出会いました。
――一番好きなノイズのアーティストは?
マゾンナです。あのエネルギーには圧倒されました。それと、即興のおもしろさですね。
――マゾンナを初めて聴いたのは、おいくつぐらいときですか?
2002年か3年だと思うので、20歳ぐらいだったと思います。ジョグジャカルタに移ったことで、私はいろんな文化を開拓しました。時間もお金もあったし、芸術大学ということでいろんな文化と出会う機会があったんですよ。
――インドネシア芸術大学では、版画を学んでいらっしゃったんですよね?
そうです。私にとって版画というのは新しい表現だったので、やってみようと思ったんです。あと、インドネシア芸術大学の版画科からはちょっと変わったバンドがたくさん出てきてるんですよ。一番古いバンドがブラック・ブーツ。シーク・シックス・シック(Seek Six Sick)というバンドも版画科出身です。ノイズやサイケデリック・ロック、クラウトロックのようなエクスペリメンタルなバンドがたくさん出てきたんです。
――でも、なぜインドネシア芸術大学の版画科は、そうしたバンドのメッカになったんでしょうか。
音楽科、あるいは音楽学部に入ればクラシックやジャズを学んでいただろうし、エクスペリメンタルな音楽をやろうと思わなかったと思うんですよ。でも、音楽系ではない版画科だったからこそ、みんな他にはないダイナミックな表現を突き詰めようと思ったんでしょうね。
――クリスナさんのホームページにはペインティングとかドローイングの作品がアップされていますよね。鉄腕アトムやウルトラマンのような日本のものをモチーフにした作品がいくつもあって驚いたんですが、日本のアニメやポップ・カルチャーからも影響を受けていらっしゃるんですか?
インドネシアには日本のコミックや映画が昔から入ってきてますからね。それこそ『ドラえもん』の時代から。インドネシアにおいて日本のポップ・カルチャーは大きな部分を占めていますし、当然私も影響を受けています。
◯「ジョグジャ・ノイズ・ボミング」
――クリスナさんの音楽活動についてお話を伺いたいんですが、どのようなきっかけで音楽をやることになったんでしょうか。
2002年にジョグジャカルタに移り、2004年にバンドを始めました。最初に始めたのはブラック・リボン(Black Ribbon)というノイズ・ユニットです。その後活動を広げていって、ソロとしてソダドサ(Sodadosa)というユニットもやるようになりました。
――そもそもジョグジャカルタのノイズ/エクスペリメンタル・ミュージックのシーンは、いつ頃から始まったものとされているんでしょうか。
90年代からだと思います。ただし、それが現在のような大きなものとなったのは2000年代に入ってから、それも2003年ぐらいからじゃないでしょうか。
――インドネシアの首都であるジャカルタではなく、ジョグジャカルタにそうしたシーンが形成されたのはなぜなんでしょうか。
確かにジャカルタは大都市ですけど、ジョグジャカルタのほうが文化的にずっとダイナミックなんですよ。ジャカルタはみんな忙しないですし、大都市なのでミュージシャンが住んでるエリアもみんなバラバラ。でも、ジョグジャカルタはジャカルタよりも町の規模がずっと小さいし、雰囲気もリラックスしてるんですよ。ミュージシャン同士が集まりやすいというのもありますね。
――ジョグジャカルタのノイズ・シーンの中心地になるようなライヴハウスがあるんでしょうか。
特定のライヴハウスがあるというわけではないですね。たとえ借りるにしても、そういったライヴハウスは私たちにとって高すぎます。そのうえ、ノイズはうるさいということで演奏すらさせてもらえない。そのため、ストリートで演奏してきたんです。しかも違法なやり方で。
――違法なやり方?
たとえば盗電したり。そういうことをしてる間にソーシャル・メディア上で自分たちのことが紹介されたりして、みんなが興味を持ってくれるようになった。その結果、ギャラリーを貸してもらえるようになったり。いずれにせよ、いくつかの場所を渡り歩きながらやってるので、溜まり場になってる場所はひとつだけではないですね。
――先ほど「ストリートで演奏してきた」とおっしゃってましたが、それはジョグジャカルタのノイズ系ミュージシャンが総出演しているイヴェント「ジョグジャ・ノイズ・ボミング(Jogja Noise Boming)」のことですか?
そうです。それ以外にもたびたびストリートで演奏してきました。ちなみに、ジョグジャ・ノイズ・ボミングはイヴェントの名前でもあると同時にひとつのコミュニティーの名前でもあるし、この名前でのレーベルも運営しています。ワークショップの名前にも使用しているんです。
――では、そのコミュニティーで共有しているテーマや価値観があれば教えてください。
特にテーマはないんですよ。さまざまなノイズのアーティストたちが集まり、一緒になって演奏をする。そして、さまざまな活動を集合的にやっていく。何かのテーマに囚われているわけでないないんです。トータルの人数は10人程度だと思いますが、それぞれいくつもの名義で活動し、音源を発表しています。
――でも、特定のホームを持たず、常に移動しながら活動を続けるというのは大変じゃないですか?
いや、そんなことはないです。友達が車を出してくれたり、助けてくれるので。逆に何かに囚われたり規則を強制されることがないので、より自由に表現活動ができるという面はありますよね。ただ、ジョグジャカルタだからこそこういうことができているということはあります。ジャカルタは物価も高いですし。ジョグジャカルタのノイズ系アーティストはだいたい25歳以上の年齢層が多いんですが、ジャカルタだとその世代は結婚して家族がいたり、自分の仕事があったりと背負うべき責任も多い。そのぶん自分の活動との折り合いの付け方に迷うこともあると思うんですよ。そういう意味でもジョグジャカルタはもう少し気楽に活動できるところはあります。
――では、クリスナさんが今メインで活動されているソダドサというソロ・プロジェクトについてもお聞きしたいんですが、このプロジェクトのテーマとは?
ソダドサは私のソロ・プロジェクトなんですが、ここで表現しているのはネガティヴな部分です。たとえば、何か押さえつけられている時の感情とか。私はあまり自分のことを他人に表現するということはしませんが、それを音楽によって発散させているんです。悲しみや抑圧、フラストレーション。それがソダドサのテーマです。
――今後の活動についてはどのようなヴィジョンを持っていますか。
現在やってるような表現をずっと続けていきたいと思います。エクスペリメンタルでプログレッシヴ。それが私の表現です。