Asian Meeting Festival 2016 5th Day in Kyoto もうひとつのジャズとしてのアジアン・ミーティング・フェスティバル 佐藤守弘

もうひとつのジャズとしてのアジアン・ミーティング・フェスティバル佐藤守弘

014.JPG かつての小学校の講堂。中央にはスピーカーが円形に設えられ、それを囲むように観客が座る。それをさらに楽器/装置と椅子が囲み、その外にはまた観客が立っている。ステージの存在で見る者と見られる者が厳密に分けられた通常のコンサートとはまったく違う同心円状のセッティングのなか、パフォーマンスがはじまる。椅子の前には、電灯が設置されていて、その照明が暗闇のなかからパフォーマーたちを浮かび上がらせていく。京都の元・立誠小学校講堂で行われたアジアン・ミーティング・フェスティバル2016の5日目である。
 第1部では、入れ替わりながら3人ずつのパフォーマーが演奏するという形式で行われた。さまざまな「楽器」で、互いの音を探りあいながら、会話のように音を出していく----ダンサーの場合は動きで反応する。その様子は、なにか異種の動物同士が鳴きあっているようにも思えた。時に音はぶつかり合い、時には互いに無関心に共存し、そして部分的に通じあう。
 また「楽器」----音を発生させる装置という意味での----の多様さも興味深かった。広義のシンセサイザーやノイズ発生装置のようにパフォーマーがなにをしているのか、どのような仕組みで音が出ているのかが一見では理解することのできない装置と、ギターやサクソフォンのようなパフォーマーの動作と音の発生源と出てくる音が視覚的/聴覚的に連続して認知されうる楽器との対照は、これがたんに音を聞くだけではなく、見るパフォーマンスでもあることを認識させられた。
 第2部では、パフォーマー全員が登場してのセッションが行われた。3人ずつのパフォーマンスでも行われていた音の掛け合いは、それが10人以上の規模となることで、さらに複雑さを増し、静かな探りあいから混沌とした高揚にいたるまでの振幅を繰り返していく。
 このパフォーマンスを見て、門外漢の根拠なき感想ながら、「これはもしかしたらある種のジャズなのではないだろうか」という思いが高まってきた。というのも、記憶の底から唐突に浮かび上がってきたのが、1982年に(相当背伸びをして)見た、オランダを中心とした即興音楽家集団ICP(Instant Composers Pool)オーケストラの京都大学西部講堂での演奏であったからである。なにしろ30数年前のことなので、細かいところは全く覚えていないのだが、なにかしら通ずる部分を感じたのである。ただ、当時の録音を今聞き返してみると、ICPの方は、今回のような電子楽器は使われていないし、なによりもはるかに「音楽」的であり、音としては結構違う。私の頭のなかで両者をつないだのは、その音のスタイルではなく、パフォーマンスが醸しだす祝祭的な空気だったのかもしれない。
 「祝祭」とはいっても、アジアン・ミーティング・フェスティバルという祭りは、参加者全員が均質のコンテクストを共有し、調和を持ってつくりだしていくような祭りではまったくない。それぞれ異なるバックグラウンドを持つパフォーマーたちが、ディレクターのユエン・チーワイとdj snjffが述べるように、根底に共有する「貪欲な実験性であったり、紋切り型な形式への抵抗、またはよくわからないけど惹かれる何か」を頼りに、構築しては壊し、破壊しては紡ぎ上げていく種類の祝祭のように思える。ICPオーケストラの思い出に戻ると、一番強烈に刻み込まれているのは、ドラム・セットを離れ、あらゆるところを叩きながら、ステージ裏にまで行って暴れ、そこで何やら脚立を倒すような音を発生させていたハン・ベニンクの姿であった。そこに見られた破壊と構築の祝祭が、30数年の時を経て、転生してきたような思いを抱いたのである。
 菊地成孔と大谷能生は、モダン・ジャズにおける即興演奏のゲーム化を指摘している。もちろん彼らの言う「ゲーム」とは、ビ・バップにおけるコードの進行というルールに則って即興演奏を競い合うことであり、そのような構造化されたルールはアジアン・ミーティング・フェスティバルには見られない。しかし、それよりも深いレヴェルでの暗黙のルールのようなものがあったのかもしれない----それがどのようなものであるのかは、パフォーマーではない私の理解が及ぶところではないが。
 ジャズの本質を問うのは、そのモダニズムが極限に至ったフリー・ジャズ以降の時代には意味がないことだろう。もはや単線のジャズ史は不可能になり、断片化された複数形のジャズが、さまざまなジャンルの音楽に憑依している今、思いもよらないところでジャズは転生している。そのような転生のひとつのかたちとして、アジアン・ミーティング・フェスティバルのパフォーマンスを捉えることができるかもしれない(特に印象的であったのは、ゲストの村里杏のドラム・プレイであった。決してステディなビートを刻むことなく、全体の音に反応してキレのある打音の塊を叩きだしていく彼女の演奏に、私は強烈に「ジャズ」を感じた)。
 当日、企画者のひとり、dj sniff----「ヒップ・ホップとフリー・ジャズの影響」を広言する----のCD、EP (psi, 2011)を会場で入手して帰った。フリー・ジャズのサクソフォン奏者、エヴァン・パーカーのかつての録音を、ターンテーブルでスクラッチしたりサンプリングしたりすることで構築された音を聞きながら、今日出会った音は、やはりもうひとつのジャズであったのかもしれないという思いを強くした。

佐藤守弘(さとう・もりひろ)
コロンビア大学大学院修士課程修了。同志社大学大学院博士後期課程退学。博士(芸術学)。芸術学・視覚文化論専攻。著書に『トポグラフィの日本近代―江戸 泥絵・横浜写真・芸術写真』(青弓社)、『記憶の遠近術~篠山紀信、横尾忠則を撮る』(共著、芸術新聞社)など。翻訳にジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』(共訳、青弓社)など。2012年、芸術選奨新人賞(評論等部門)受賞。文 化庁メディア芸術祭アート部門審査委員もつとめる。