Asian Meeting Festival 2016 4th Day in Kobe ノイズ・グローバリゼーションはアジア音楽にとって順風となる 若尾 裕

ノイズ・グローバリゼーションはアジア音楽にとって順風となる若尾 裕

063.JPG アジア諸国からのミュージシャンに日本から何人かが加わった15名による即興音楽のコンサート。今回は円状にそれぞれのセッティングの机が並べられ、前半は3人ぐらいの組み合わせで、ひとり抜けたらまたひとり入るという、入れ替わりながら進んでいくアンサンブル、後半は全員が一堂もそろって演奏するセッションであった。
 さまざまな国からの参加があり、全員が共通の言語(例えば英語)でコミュニケーションが徹底できるわけでもなく、基本的な意思の疎通さえも難しいこともあり、運営側はなかなかたいへんな状況であったとも聞く。おまけに個々人の音楽のバックグラウンドもまちまちのようだ。出てきた音を聴いても実にさまざまで、フリー・インプロヴィゼーションやノイズ・ミュージックなどのジャンルに慣れたと思われるひともいれば、あまり慣れていないと思われるひともいる。
 だが、そんな状況でのセッションはなかなかに興味深いものだった。こういった音楽の面白いところは、いわゆるジャンルに慣れ、そこにおさまった人の演奏の方が必ずしも面白いわけではないところである。逆に言うなら、フリー・インプロヴィゼーションとかノイズ・ミュージックとかに標準形があることの方のおかしさをこちらに問いかけるような音がしょっちゅう現れ、それが逆に楽しませてくれる。
 だが、さらに逆に言うなら、こういったおもしろい現象が成り立つのもフリー・インプロヴィゼーションやノイズ・ミュージックならではのことなのだ。つまり、これほど不秩序にちがいのある音楽家が打ち合わせもなく音楽ができるのは、先人たちによってこういったジャンルが開発され、多くの音楽家によってその実践が積み重ねられてきたからにほかならない。つまりこの音楽ジャンルは、ジャンルを否定し慣例や標準を排するという目標の結果、逆にそれがジャンルとして成り立ち、その慣例や標準ができあがるという、不思議な矛盾のうえに危うく成り立っているものなのだ。
 だがこのジャンルは、その不安定さゆえに、こういった状況での音楽コラボレーションでは大きな力となる。ノイズには音楽が成り立つための言語的な決まりごとの障壁が低いので、こういった〈漠然とした普遍性〉のようなものが出現してしまうことは実に興味深い。「音楽に国境はない」という言葉は、かつては世界のみんながドレミとドミソの音楽をする、西洋音楽モデルのグローバリゼーションのことを実質的に意味していたのだが、このコンサートを耳にして、やっとここでほんとに国境がない音楽が成り立ったように思えて痛快である。グローバリゼーションという現象は、いまやわれわれには避けられないものになってきてしまい、そこには多くの問題点もあることは事実であるが、ノイズ・グローバリゼーションはそのなかではすばらしい例外と言うべきだろう。そしてこれを成り立たせたのは世界のノイズ先進国、日本であるし、そのオーガナイズに腐心した大友良英の努力である。  
 会場は、演奏中歩いてまわるように設定され、ハノイの街角の屋台をひやかして回るようにさまざまな音を味わう、という楽しみ方ができたことも新鮮だった。こういった屋台方式は、アジア的な演奏発表方式としてさらに洗練させられ得るものかもしれない。こういった音の重なりを聴きながら、ここにもし欧米人が加わっていたら、ずいぶん感じが違っただろうとも感じる。ここでは大きく目立とうとするものはいなく、混沌とした平和な音の流れから、仏教性や儒教性やニルヴァーナ性などのアジア的世界観が聴こえてくるようにさえ思えた。(ヒンズーやイスラムの人たちがいたかどうかはわからないが、もしいたならそういったタッチの配合がどのような音となって聞こえてきたかとても興味深い。)
 われわれアジア人は、特にナショナリティーと個人の音楽性が結びつけられて論じられることが多い。外国に行ったときにも、その音楽を日本らしさとかアジアらしさとかからの視点から議論されることもある。いま考えるとそういったものは、だいたいは西洋人によるオリエンタリズムやエキゾティズムに由来したものだということがわかる。そしてその思想は当事者であるアジア人自身のなかに内在化させられることとなり、自身のルーツをネイションに強くもとめた時代も、たとえばわが国にはあったし、まだこれは続いている。だがいまではそのような世界観は、いや応なしに無効化しつつあるようだ。最近やっと国際交流基金の援助が取れたそうだが、こういった音楽文化という大きな問題について考えてゆくためにも、この企画の発展がさらに望まれる。


若尾 裕(わかお・ゆう)
1948年生まれ。東京芸術大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。広島大学教育学部、神戸大学発達科学部にて教育研究にたずさわる。広島大学名誉教授及び神戸大学名誉特任教授。著書に『親のための新しい音楽の教科書』(サボテン書房)など。訳書にS. ナハマノヴィッチ『フリープレイ――人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(フィルムアート社)など。CDに『千変万歌』(ジョエル・レアンドルとの共演、メゾスティクス)など。