Asian Meeting Festival 2016 2nd Day in Tokyo 地政学と音楽史をシャッフルする 松村正人

地政学と音楽史をシャッフルする松村正人

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 スタジオ中央のバイノーラル・マイクを囲むようにセッティングされた、民族楽器、ギター、サックス、ターンテーブル、エフェクターの並ぶテーブルなど、さまざまな楽器群。そこで10人の出演者がかわるがわる10分程度のソロ演奏を披露する、交代するときには前の奏者と後の奏者とのデュオを挟み、切れ目を作らない――「アジアン・ミーティング・フェスティバル2016」2日目は、そんな簡単なルールと演奏の順番だけを決めて始まった。口火を切ったのは、コントロールルームにもっとも近い場所に陣取ったヴェトナムはハノイから来たソンXである。ブースの中央のマイクに正対し、金魚鉢のこちら側に背を向けているので、表情はうかがえない。
 私はあいにく前日の初日を見逃したので、今年のAMFはこの日がはじめてである。会場は昨晩の表参道スパイラルが面する青山通りを渡り、渋谷に向かう途中の旧こども城の角を右に折れ、しばらくいった先の「Red Bull Studios Tokyo」、ここはレッドブルが併設する録音スタジオだが、外部のライヴやイベントに解放していて何度か訪れたことがある。キャパシティはけっして多くはない、というか、録音スタジオなのでお客さんを呼ぶつくりではないし、今日は一般のお客さんを入れていない。とはいえ、ご覧になかった方も少なくないだろう、というのも、この日の模様はDOMMUNEがストリーミング中継したからである。午後にはこの日の出演者でレコーディングも行ったようで、私が到着した19時半の時点で場はすでにひと仕事終えた後のここちよい疲労と充足感がただよっていた、そのなかをDOMMUNEクルーはストリーミング放送のために忙しくたちまわっている。宇川直宏の顔も見える。
 20時に遅れること十数分、放送ははじまった。企画の発案者である大友良英、香港を拠点に活動する日本人プロデューサー、dj sniff、シンガポールのサウンド・アーティスト、ユエン・チーワイ、キュレーターをつとめる三者が今年の抱負を述べ、チーワイが中心となり、大友良英も参加した「プレイフリーリー・フェスティバル2015」の模様の映像を上映したのちはじまった上述のソンXの、べトナムの伝統的な打楽器と鳴り物を組み合わせた静的な演奏は、年季のはいった映画の音効さんのようで、ときおりさしはさむやはり呟くような声とあいまって映像喚起的な力をもっていた。のちに資料で確認したところ、ソンXはハノイ演劇学校で伝統的な打楽器の演奏を学び、国立チェオ歌劇団はじめ、いくつかの歌劇団の団員をつとめてきたという。彼の履歴は私の上述の感想を裏書きするものだったが、集団即興では埋もれがちな演者の音楽的背景を理解するには、今回の試みはその意味でもうってつけといえる。10分の持ち時間はいささか食い足りない気がしないでもないが、音の飽食に警鐘を鳴らそうという意図なのか、いずれにせよ、音の情景がつぎつぎ変わっていくのはことのほかスリリング。ソンXの演奏が終盤にさしかかるころ、彼の左前に位置するフィオナ・リー(香港)の音がかぶさってくる。電磁場を使った、ガラス製のボウルのなかで鉄球がリズミックに音を刻むサウンドアート的な要素をとりいれたフィオナ・リーの即興は、インダストリアルというと語弊があるが、アコースティックなソンXと対置すれば、ひとくちにアジアといってもひといろではないローカリズムをきわだってくる。むしろこの多様性とダイナミズムこそ〝アジア〟の本領であり、大友良英がAMFをたちあげた理由のひとつもおそらくそこにあった。そしてAMFはdj sniffやユエン・チーワイのような、次世代のコスモポリタンの協力を得て、国境に規定されない広がりと奥行きを具体化しつつある。おそれいりますがね。私のうちなる声を見透かしたかのように、三番手dj sniffがターンテーブルに乗せた坂田明『20人格』からそんな第一声を発した。種々雑多な音盤を擦り、カットアップするsniffのターンテーブル捌きは場を加速させ、それを受けたジョグジャカルタのクリスナ・ウィディアタマ、大友良英、クアラルンプールのヨン・ヤンセンへいたる流れは、ありし日のフリージャズ・アンサンブルのソロまわしを想起させるもので、私は目頭と身体を熱くなるのを止められない。おそらくその印象から、終演後、この日の音響を担当されたGOKサウンドの近藤祥昭氏にニュージャズ・シンジケートの話なぞふってしまったくらいだが、彼らの演奏には、モダン・ジャズがフリージャズへ、さらにその近傍のフリー・インプロヴィゼーションへ解体したプロセスを再現する趣があっただけでなく、地域性と切り分けられない個人性のなかでそれらが再構成されるさまを現出させるアクチュアリティがあった。途中、大友良英の演奏がはじまったのをみはからい、演奏をきりあげ、コントロールルームに戻りかけたクリスナを全員が押し戻し、共演をうながす場面があったのも印象深かった。ウィ・ウォント・モア。その声で、数珠つなぎにソロを披露する場であったこの日のAMFは一体感をました。テーブルの前に戻ったクリスナがエフェクターにつないだ金属板を、空間にジャブをくれるごとく繰り出すと、同時に拉げた音が鳴り響き、それに応えるように大友良英が金属棒でギターの弦をぐいぐい押さえ込む。国籍と世代を超えたノイズの競演。
 シンガポールのナタリー・アレクサンドラ・ツェー、バンコクのピートTR、ユエン・チーワイが演奏する後半では、より個が際だっていた。ツェーの古箏は古典に則った端正なものだったが、ときにエフェクターで変調させた音は、八木美知依や沢井一恵といった日本の箏奏者の実験を彷彿させただけでなく、箏という撥弦楽器の汎ユーラシア的分布をも想起させる。ピートTRの伝統楽器を使った弾き語りとファズ・サウンド、それをひきつぐユアン・チーワイのエレクトロニクスとギターによる即興には、シューゲイザーやアンビエントといったポピュラー・カルチャーに親和的な音響もかいまみえる。数日後、私は横浜で「TPAM(Performing Arts Meeting In Yokohama)」で恩田晃がディレクションした音楽プログラムの一環で、チーワイもメンバーの一員であるジ・オブザバトリーの特別公演を観る機会があったが、このときの彼らの自作ガムランを含む演奏は、ガムランの記号性に目をひかれそうにはなるものの、特筆すべきはその金属性の響きとゴチックかつダークかつモダーンなバンド・サウンドとのアンサンブルの妙味であり、そのような重層性ももはやめずらしいものではない。アジアの音楽だからといって決めつけてかかる輩は足元をすくわれる。かくいう私も恥ずかしながらすくわれかかっていた、おそるべき広がりと厚みが、この小さなスタジオのなかにいる彼らのわずか10分ばかりの演奏に凝縮している。これは思いのほか収穫の多いイベントかもしれない。トリをつとめたスキップ・スキップ・バンバンの演奏をコントロールルームの窓ごしに食い入るように見つめながら、私はそう独りごちた。台北の、ソングライティングに秀でたシンガーだとばかり思っていた彼女からこのようなフリー・フォーキーなプレイが飛び出すとは。レッドブル社のエントランス脇のモニターに映ったDOMMUNEのタイムラインに、twitterのコメントが五月雨のように流れる。近藤祥昭は的確に音をとらえている。
 考えてみれば、ここで彼/女たちの音楽をショーケース的に聴けるのは、ふだんのライヴともちがう贅沢な経験である。しかも、明日からはここにニューヨークからオッキョン・リーが加わるというのだから、まさにオールスターキャストそろいぶみの観さえある。しかし、だからこそ、たんに総花的にならないためにも、このような企画ではプレゼンテーションする側の見識とアイディアが問われる。じっさい今日のイベントの勝因が演奏の順番と陣容を決めたdj sniff&チーワイのたぐいまれなプロデュース感覚にあるのは論を俟たない。おそれいりますがね、いや、おそれいりました、といいたくなるくらいだ。おなじように、腑分けできない地政学と音楽史をシャッフルし、音楽を体現する身体を全面にひきだす、その手法も見事だった。それが未来を想起させたといえば大袈裟かもしれないが、アジアの音楽の歴史がひとところにとどまってはいないのもたしかだ。それは直線的なものか、円環を描くのか。アジアの流儀では後者だろう。そしてそれはレコードにとてもよく似たかたちをしている。

松村正人(まつむら・まさと)
1972年、奄美生まれ。1999年より雑誌『STUDIO VOICE』編集部で音楽を担当。07年に『Tokion』編集長を、09年4月号から休刊した09年9月号まで『STUDIO VOICE』編集長をつとめた。「南部真里」の筆名を使うこともある。湯浅学氏率いる湯浅湾のベース奏者でもある。