Asian Meeting Festival 2016 3rd Day in Tokyo むちゃくちゃで気持ちいいこと 能町みね子

むちゃくちゃで気持ちいいこと能町みね子


_MG_1363.jpg
 今年のアジアン・ミーティング・フェスティバルについては2月7日に青山スパイラルで行われた演奏を視聴したけれども、音楽についてのバックグラウンドを何も持たない、ただなんとなく「聴いたことのない音楽が好き」と思っている程度の私がふらっと行ってあぐらをかいて楽しんできただけで何を語れるか、非常におぼつかないので、大友良英さんについて書くことから始めます。このフェスはべつに大友さんがリーダーとなって進めているわけでもなく、大友さん、ユエン・チーワイさん、dj sniffさんが実質的なリーダーとなり演者全員が有機的に絡み合って成り立っているので、一人だけ取りあげるのもちょっと申し訳ないのですが、私のとっかかりはそこでしたし、このフェスにかかわるすべての人の根っこは今から書くことと大きな差はないと思う。
 大友さんはまず第一に楽しくて気持ちいいことがしたい人なんだ、というのは大友さんを知った当初から感じていたこと。
 いや、陳腐ですね、言葉にすると。もっとうまいこと伝えたいな。
 例えば、大友さんが『あまちゃん』の作曲で一般世間に認知され始めたころ、『題名のない音楽会』に「ノイズ」というテーマで出演されている。私はこれを楽しみに見ていました。
 手元にその動画データが残っていないため私の記憶で書きますが、まず最初にわかりやすい例として流したのは、ジミ・ヘンドリクスのアメリカ国歌演奏。途中、ギターソロに入ったところで大友さんが反応する。いやー、かっこいい。
 すると、女の人による解説が入ります。「これはベトナム戦争への抗議の音とも言われています」みたいな感じのことでした。実際、これを教科書的に「1969年のウッドストックでの演奏は、泥沼化したベトナム戦争への批判として、爆撃機が空襲を行い、民衆が泣き叫び逃げまどう様子をギターの音で再現しています」なんて書いているサイトはすぐに見つかる。それは一面でたぶん正しいことなんでしょう、ただ、大友さんはそれを否定するわけではないけれど「でも、これって単純にカッコいいし、気持ちいいじゃないですか。爆音でガリガリ鳴らすのが単純に気持ちよかったんだと思うんです」というようなことをおっしゃった。
 この件で私はますます大友さんが大好きになっちゃったのだ。
 この番組の中で、大友さんは自分の傷だらけのギターでノイズを実演したり、Sachiko Mさんのサインウェーブ演奏をかけたりと、午前中からノイズを地上波に惜しげもなく垂れ流し、満足げにしつつも「俺、こんなのテレビで流していいの?」としきりに不安がっていました(また私は大友さんが自分のことを「俺」と呼ぶのも大好きである。飾り気のなさ)。司会の佐渡裕さんは、なかば冗談でしょうが、意味がわからないといった調子でお菓子なんか食べ始めちゃった。全体的に、その支離滅裂で自由な空間は見ていても非常に心地よかったんです。
 だから、大友さんはこういう、なんだかいろんなものが混ざり合った結果、昇華されて気持ちよくなってしまう、というようなことが好きなはず。
 アジアン・ミーティング・フェスも、それが第一なんだと思う。アジアのわけわからんいろんな国の(もちろん外国から見て日本もわけわからん国の一つ)、わけわからん場所でひそかに活躍しているミュージシャン。そういう人たちを全部集めていっぺんに音を出したら、むちゃくちゃで気持ちいいことになるんじゃないの?っていう、たぶん、基本はそういう単純なことだ。誰もがそう思っているのだ。さらに、これを機にそれぞれがたまたまのつながりを持って、どこかでセッションをしたり、交流をしたりするコネクションが生まれたらそれもまた気持ちいいじゃないっていう、そういうことだ。きっとヨーロッパなんかでは当たり前に起こっていること。そんな楽しみをアジアでもぶちまけるべきだ、ということ。
 去年これを見たときは、浅草の愛をもってそう呼ばれるウンコビルの中で(初めて浅草に来た人があのウンコビルを見てどう思ったかも知りたいもんです)、十数人のミュージシャンが客を取り囲み、四方八方から音が聞こえてくるという仕組みだったけど、今回は青山スパイラルというとってもおしゃれなスペースで、円を描くように位置したミュージシャンをお客さんが取り囲むという感じ。お客さんが増えたのかな。失礼ながら著名なミュージシャンなんてほとんどいないのに、謎の集客性。すばらしい。
 お客さんはみんな地べたに座り、いろんなところから来た人たちはなんだかわからない楽器を次々と使い、旋律のような旋律じゃないようなものを編み出していく。それは呪術のようでもあって、村祭りのようでもあって。もしかしたらどこでも、誰でもできることのような気がした。
 誰でもできるというのは決しておとしめて言ってるんじゃない。クオリティとか、ショーとして見せるということを抜きにすれば、誰でもやってみればできちゃうんじゃないかという気がした。どこの国のどんなバックグラウンドを持った人かなんてことも、お祭りの前ではこの際関係なくなってくる。ミュージシャンかそうでないかの区切りなんてものも、本当はないような気がしてくる。
 私はこの原稿を書かなきゃいけないと思っていたので、最初は音楽を楽しみながらメモを取ろうとしたのですが、なんだかバカバカしくなってやめてしまいました。私が、どんな演奏だかなんて言葉で説明しても、ねえ。音楽的なことは誰かに任せる。お祭りの狂乱は言語化しないほうが伝わるんじゃないかな。大城真さんが会場中をうろつきながら、目覚まし時計みたいなベルをいろんな場所に置き始めたのは強烈に覚えている。
 この原稿もまるで何も計画なく即興で一気に書き上げたものなので、まとまりや論旨については一つも保証がない。でも私もそういう音楽的なことがやってみたかった。どうしよう、どうまとめようか。一人だと終わり方がわからないな。何者かわからない誰かと組んで、呼吸を合わせて終わる感じ、うらやましいな。

能町みね子(のうまち・みねこ)
コラムニスト、漫画家。北海道出身、茨城県育ち。著書に『オカマだけどOLやってます。』(文春文庫)、『くすぶれ! モテない系』(文春文庫)、雑誌『装苑』で連載していた『雑誌の人格』(文化出版局)など多数。フジテレビ系『久保みねヒャダこじらせナイト』、ニッポン放送『今夜もオトパラ!』に出演するなど活躍の場を広げている。