イマン・ジンボット インタビュー

イマン・ジンボット インタビューインタヴュアー:大石始
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○音楽一家の息子が実験音楽に......

――今回のプロジェクトに参加した感想を聞かせてください。

 とても楽しくて特別な経験でした。僕らは別々の国からやってきたわけですけど、ひとつのものを生み出していたと思います。エネルギーに溢れてましたし、日本も居心地がよくてとても快適でした。僕、打ち上げの場で泣いてしまったんですよ。ひとつの家族のような感じがして......みんなが兄弟のように思えてきて、とても幸せな時間でした。

――今回のようなセッションはインドネシアでもよくやっていらっしゃるんですか。

 ジャンルが違う人たちとのセッションというのはよくやっています。(ジャワ島の北海岸に位置する)チルボンという場所でゴトラサワラ(Gotrasawala)フェスティヴァルというワールドミュージックの大きなイヴェントが行われていて、そこにはヨーロッパなど各国の人が集まるんですね。そこではライヴ・パフォーマンスのほか、セミナーやディスカッションなども行われます。エクスペリメンタルミュージックに関しても個人的な繋がりで海外からのアーティストを招聘して、ジャンルを越えたセッションが行われることもありますね。

――東京公演のときは何種類もの伝統楽器を演奏されていましたけど、あの楽器の名前を教えていただけますか?

 ひとつはケチャピー(Kecapi)という琴のような楽器ですね。あとは両面太鼓のクンダン(Kendang)、スリン(Suling)という竹製の笛、それとガムランでも使われるボナン(Bonang)という金属製の楽器です。

――こういった伝統楽器には子供のころから触れていたんですか。

 そうですね、父が音楽家なので。父は7人兄弟なんですけど、そのうち4人がみんな音楽家になってます。僕も4歳の頃から少しずつ両親に教えてもらって、それからパジャジャラン大学という国立大学で音楽を学びました。

――イマンさんは何年生まれなんですか。

 79年です。

――バンドンで生まれ育ったそれぐらいの世代の方にとって伝統楽器は身近なものなんですか?

 先ほど言ったケチャピーやクンダン、ガムランに触れる機会はそれなりにあると思うんですけど、僕が今やってるようにエクスペリメンタルなやり方でこうした伝統楽器を演奏してる人はほとんどいないですね。

――では、イマンさんがエクスペリメンタル・ミュージックに触れるきっかけとはどのようなものだったんですか。

 僕らの地元にコモンルームというひとつのコミュニティーがあるんですね。そこにはアート関係やミュージシャンが集まる場所で、僕のような伝統文化に携わっている人もいれば、メタルや電子音楽のミュージシャンも集まりますし、絵を描く人もくる。そこでいろんな人たちと出会うなかでエクスペリメンタル・ミュージックを知ったんです。コモンルームは公民館的なスペースでもあって、そこでエクスペリメンタル・ミュージックや伝統文化、語学教室、絵の教室みたいにいろんなクラスがあるんです。

――なるほど、ライヴスペースというよりもコミュニティー・センターという感じですね。クラスの先生はどういう人がやってるんですか。

 エクスペリメンタル・ミュージックのクラスでいえば、できる人が代表して先生をやるんです。踊りであればダンスの専門学校の人に先生をやってもらったり、専門的な知識や技術のある人たちが教える感じですね。僕はケチャピーやスリンの演奏を教えてました。

――コモンルームの活動が目的としているのはどのようなものなんですか。

 意欲を持った若い人たちが活動できるパブリックな場所そのものを作るということですね。僕のように伝統音楽しかやってなかった人がメタルや電子音楽と出会って、そこから何か新しいものが生み出されていく。そういうことを目的としています。

○現代に甦る伝統音楽

――イマンさんはカリンディン・アタック(Karinding Attack)など、伝統音楽を現代的手法で表現したバンドでも活動されてますね。

 そうですね。カリンディン・アタックは竹製の楽器が構成の中心になっていて、メンバーはメタル系の音楽をやってる人たちです。カリンディンというのは竹製の口琴で、それをいろんなミュージシャンが演奏するようになってるんですよ。今のバンドンにはカリンディンを使ったバンドが200ぐらいいて、そのうちにひとつがカリンディン・アタックですね。カリンディンは昔からあるものなんですけど、一度伝統が失われかけてたんですね。それが最近になって復活したんです。

――カリンディンはスンダの人たちにとって民族的アイデンティティを象徴する楽器なんですか。スンダの何か民族的な動きと連動しているもの?

 カリンディン以前にはプンチャック・シラットという伝統的な武術の見直しが行われたことはあります。自分たちの地域の文化を愛するがためにやってることなんですよ。メタルの人たちがそういうことをやってるのは面白いと思いますけど。自分たちの文化を継承していかないといけないという責任感がメタルの人たちの間で生まれてきてるんですね。僕が参加しているカリンディン・アタックもそうした活動のひとつです。

――カリンディン・アタックはバンドン以外でもよくライヴをやってるんですか。

 ジャカルタなど他の地域でもやってます。アルバムも出しているので、地元だけじゃなくて他の町でライヴをやることも多いですね。

――イマンさんはカリンディン・アタック以外にもトラ(Trah)とサラスヴァティ(Sarasvati)というユニットをやっていらっしゃいますね。

 トラはメタルやトラディショナル、ポップ、ヒップホップなどの要素を融合したものをやってます。電子音楽やエクスペリメンタルの要素もありますね。サラスヴァティはポップ寄りのバンドで、僕はそのなかで伝統楽器を演奏しています。他のメンバーは今風の楽器を使っているので、いわばコラボレーション的な感覚で参加してるんです。このバンドは目には見えない不思議な世界をテーマにしています。

――それは宗教的なテーマということでしょうか。

 宗教に限ったものではないですね。インドネシアではよくあることなんですけど、普通の人には見えないものが見えてしまうという人がメンバーにいるんですよ。それを歌にしてるんです。

――えっ、インドネシアにはそういう人がよくいるんですか?

 そうなんです(笑)。トラは3人でやってるんですけど、ほとんどなくなりかけているスンダの伝統音楽をもう一回掘り起こして音楽にしています。ノイズやポップスの要素もありますね。

――イマンさんご自身はスンダの古い伝統歌は子供の頃から親しんでいたんですか。

 いや、それほどは聴かなかったですね。12、3歳の頃に初めて知ったぐらいで。

――イマンさんが伝統音楽以外で影響を受けたアーティストがいたら教えてください。

 誰かひとりのアーティストから影響を受けたということはなくて、やはり大きかったのは、先ほど話したコモンルームでの体験ですね。あそこに関わることがなければメタルやエクスペリメンタルのことを知ることもなかったでしょうし。あと、インドネシアの結婚式って伝統的な様式で行われるんですけど、僕もそういう場所で演奏する機会が多くて、その影響もありますね。あとは、やっぱり今回みたいな海外での演奏経験。ソロ・プロジェクトの音楽にはノイズの要素も入ってるんですが、そこにはいろいろな国のミュージシャンと演奏したことからの影響もあると思います。

――そのソロ・プロジェクトについても少しお話しいただけますか。

 ソロ・プロジェクトの中心はやっぱり伝統音楽で、ここ最近はレコーディングを続けています。アコースティックの楽器だけでやろうとしてるんですが、エレクトリックの要素も入れようと試みてるんです。たとえば、クンダンの音にしてもそのまま使うんじゃなくて、加工してノイズのような形で採り入れたりとか。このあとソロ・コンサートをやることになっているんですが、そこではカランディン・アタックやサラスヴァティのメンバーも招きながらブルースやエクスペリメンタルもやるつもりです。

――今回のプロジェクトではそれぞれバックボーンも違うミュージシャンと競演したわけですが、何か特定の感覚を共有できたという実感、確信みたいなものはありましたか。

 意欲や熱意というものを分かち合えたと思います。音楽のみならず、お互いに対する兄弟愛をシェアできたんじゃないかな。ひとりひとりに対する個人的な兄弟愛はもちろん、お互いの国同士の兄弟愛というものも生まれた気がします。新しいインスピレーションを得ることができましたし、本当に特別なイベントだったと思います。