ユイ= サオワコーン・ムアンクルアン
インタビュアー=須川才蔵
⚪︎沸きあがってくる衝動を
――ふだんはどんなところで演奏しているんですか?
基本はひとりで演奏していますが、今回のように何人かと演奏することもあります。一番多いのは演劇の中で演奏することですね。舞台では、100年前くらいの古い題材を扱っていることが多いです。タイのポップスにチェロ奏者として参加することもあります。
――これほどたくさんのミュージシャンと演奏したことはなかったのではないかと思いますが、演奏してみていかがでしたか?
自分が今までに経験したことのない貴重な体験でした。今後活動していく上で、もっとがんばろうと思えるような経験でしたね。最初の日はひどく緊張していました。目をつぶると、いろいろなことを思い出します(笑)。今回来てくれたお客さんは熱心に観てくださったと思います。音楽と同時に沸きあがってくる衝動をぜんぶ見ていてほしいと感じていました。
――チェロの弾き語りを「ユイ・チェロ」と銘打って続けておられるとか。
ただたんに音楽を演奏するのではなく、楽器を使って音楽を表現すると同時に物語を語るということを同時にやるんです。私自身の個人的な経験や、とりまくまわりの人のことも語ったりします。
――このスタイルはいつから始めたんですか?
7年前に思いついてときどきやり始めたんですが、最初はなかなか受け入れてくれてもらえませんでした。本格的に始めたのは3年くらい前で、バンコクのある劇場で演奏したんですが、そのときに観てくれたお客さんや劇場の関係者がとても気に入ってくれて、その後定期的にやりませんかというお話をいただいて、演奏するようになりました。でも、クラシックの関係者には評判が悪かったですね、何をやってるのかといわれて(笑)。いつか受け入れてくれるという自信はあったので、そういう人に自分の実力を証明したかったんです。
――今回の演奏ではどのような物語を語ったのですか?
今回は即興ということだったので、何を演奏するか事前に決めていたわけでも、誰かと約束をしたわけでもありません。東京と京都のコンサートでは、自己紹介をしました。私はタイから来て、どういう活動をしているかとか(笑)。ほかにも、タイのお経を詠んだりもしましたね。
――演奏しているときに、目を閉じて、チェロの弓を両手で捧げもつようにして、そのまままっすぐ上に上げるしぐさをしていましたね。あれはどういう意味があるんですか?
祈りです。
⚪︎尊敬するミュージシャンを追って
――どんな人に影響を受けましたか?
私は、タイでとても人気があるプライ・パトンポーンというミュージシャンであり俳優でもある人のファンなんですが、彼が出演するドラマの音楽を担当する機会がありました。彼にはとても影響を受けました。
――どんなところに?
彼は俳優ですので、ミュージシャンとは違う表現方法を持っていること。プライさんは自分でも朗読をするのですが、聴きに来ているお客さんが感動するような非常に魅力的な語り方をするんです。彼独特の個性があって、ものすごくタイ人らしいところがあるのと同時に、海外の経験もあって西洋的な部分もあります。その両方の部分があるので、一時的なものでは終わらない人気をもっていて、そこに魅力を感じています。
彼はシンガーソングライターもやっていて、ポップスなんですが軽いものではなく、歌詞に自伝的な要素を反映した歌を作っているんです。
――タイのポップスターなんですか?
一部のコアな人たちに熱狂的に人気があります。私は、彼のことを子どものころから知っていたんですけれども、あるとき彼の方から共演しませんかと誘ってくれたんです。たぶん私がテレビに出たときに見てくれて、これはと思って誘ってくださったんだと思います。それから交流するようになりました。自分が持っている能力を生かして社会活動もされている方なので、私も芸術家として尊敬しています。
――衣装や、目の下にラインを入れるあの独特のメイクについて聞かせてください。
タイの伝統的な衣装を新しくリメイクして着ています。これにはいろいろな意味があるんですが、自分自身の経験、経歴を表しています。目の下に黒いラインを入れるメイクは、さっきのプライ・パトンポーンさんのマネなんです(笑)。プライさんに会ったときには、同じようなメイクをしていたので、とても驚かれましたが、ファンであることは伝わったようで、その後とても仲良しになりました。タイでひとりでチェロを弾きながらパフォーマンスしているのは私だけなので、それをやる勇気を表現したかったんです。
――手芸を作ったりという活動もされていますね。
妹が手伝ってくれています。
――タイの政治はいま揺れ動いていますが、ユイさんが音楽を使って訴えるようなことはありますか?
いまのタイの政治の状況はいいといえないし、文化的にも過去の表現活動に捉われています。芸術家はもちろん、それは一般の方にもとっても、決していい状況とはいえません。私がそこでしなければいけないことは、きちんと自分自身のことを話して、仕事をしていくことだと思っています。タイにも貧しい人と豊かな人がいるように、社会には二面性があるということを歌の中で表現したいんです。