グエン・ホン・ザン
インタビュアー=大石始
○「ファイナル・ファンタジー」とブラック・メタル
――今回のプロジェクトに参加した感想を聞かせてください。
このフェスティヴァルに参加すること自体が私にとって驚きでしたし、そして、実際に参加してみて、たくさんのことが勉強になりました。たとえば、インドネシアにこれほどまでに高い技術を持ったミュージシャンがたくさんいるということをまったく知りませんでしたし、このフェスティヴァルの内容もとても濃いもので、とてもおもしろかったです。
――インドネシアのミュージシャンとセッションしたというのは今回初めての経験だったんですか。
はい、初めてです。
――今回のパフォーマンスではどのような機材を使っていたんですか?
超小型の自作コンタクト・マイクロフォンとエフェクト・ペダル、あとはコンピュータのさまざまなソフトです。
――今回のセットというのはふだんライブ・パフォーマンスをやるときのスタンダードなものなんですか?
その通りです。すべて持ってきました。
――では、個人的なバイオグラフィーについていろいろとお聞きしたいんですが、まず、お生まれは何年?
1991年、ホーチミン(サイゴン)生まれで、現在もホーチミン在住です。
――音楽にハマったきっかけは?
小さい頃はまったく音楽に興味がなくて、ゲームばかりしていました。母はピアノが大好きで、なかでも世界的に有名なヴェトナム人ピアニスト、ダン・タイ・ソンのファンだったんですね。それで私にどうしてもピアノを習わせたかったようで、十歳の時にホーチミンの音楽院のピアノ学科を受験することになったんです。母親から「受験に合格したらプレイステーションを買ってあげるから」って言われて......プレイステーションに釣られて受験したんです(笑)。合格したのでプレイステーションも買ってもらいました(笑)。
――お母さんがピアノ好きということは、子供の頃からピアノの音色自体には馴染みがあった?
いや、そうでもないですね。毎日のようにピアノ音楽を聴いていたというわけでもないですし。家族全員、誰も音楽の道を進んでいないですしね。
――で、ピアノを弾きはじめてみて、いかがでした?
プレイステーションに釣られてやってるわけですから、そんなにのめり込んでやってたわけじゃないですよね(笑)。音楽を勉強しつつもやっぱりずっとゲームをやってて。そうこうするうちにゲーム音楽に惹かれてきて、〈将来大きくなったらこういう音楽を作れたらいいな〉と思うようになりました。
――〈こういう音楽を作れたら〉と思ったゲーム音楽とはどういうものだったんですか?
(即答して)「ファイナル・ファンタジー」です。(......とメロディーを歌い出す)「ファイナル・ファンタジー」のVII、VIII、IXあたりが好きでした。
――「ファイナル・ファンタジー」は同世代の友人たちもハマってました?
いや、そうでもないですね。周りの友人たちはもっと簡単なアクション・ゲームのほうが好きで。僕が最初にやりはじめたのは「ファイナル・ファンタジー」の日本語版だったんですよ。日本語が分からないのにそれでずっとやっていて、その後英語版のほうをやるようになりました。
――じゃあ、友達も含めてみんなプレイ・ステーションをやっていたということですね。
そうですね。とても流行っていましたよ。
――バイオグラフィーを拝見すると、〈クラシック・ピアノを勉強しながらブラック・メタルとデス・メタルに傾倒〉と書いてあって、そこがすごく面白いなと思いました。
音楽院ではクラシック・ピアノを習っていたんですけど、当時はクラシックを勉強しながらロックばかり聴いてましたね。徐々にメタル、それもブラック・メタルを好きになって、よりヘヴィーな音楽を求めていろんなものを聴いていくなかで、最終的にはノイズに辿り着いたんです。もしも本当にブラック・メタルをやりたくなったらバンドを組まないといけなくなるわけですけど、ヴェトナムでバンドを組むのは難しいことなんですね。しかもブラック・メタルとなると余計難しくて。でも、ノイズだったらひとりでもできるんですよね。それでノイズに関心を持つようになりました。
――好きなブラック・メタル・バンドは?
メイヘムとバーズムです。
――おお、バーズム(笑)。
その他にも好きなバンドはたくさんあるんですけど、一番好きなのはメイヘムとバーズムですね。
――ホーチミンでメイヘムやバーズムのCDを買えたんですか?
たぶん違法コピーだと思うんですけど、とても安い値段で手に入ったんです。ヴェトナムではロックも流行っていたので、CDショップに行けばいろんなアルバムが手に入ったんですよ。
――ホーチミンでブラック・メタルが人気だったんですか。
そうですね。今はそれほど人気がないと思いますけど、2005年から2007年ぐらいは盛り上がってましたよ。僕も当時はメタルの格好をして、女性のように長い髪をしていました(笑)。
――グエンさんはブラック・メタルのどういう部分に惹かれたんですか。
とてもパワフルでエネルギーがあるところに惹かれました。ブラック・メタルを聴くとパワーをもらえる感じがするんです。ヘヴィーな音楽であればあるほど惹かれるのは今も変わらないですね。
○ギターを弾かずにギターの音を
――では、今の活動に繋がるようなノイズ/エクスペリメンタル系のことをやるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
ブラック・メタルを聴くなかで、エフェクターを通したギターの音に惹かれるようになったんですね。自分でもそういう演奏をしてみたくなったものの、僕自身はギターをまったく弾けないので、マイクロフォンとエフェクト・ペダルを繋いだハンドメイドの楽器でギターと同じような音を出すようになったんです。それが2009年です。ハノイで行われたニュー・ミュージック・ミーティング・フェスティヴァルに出演したのが僕にとって最初のパフォーマンスでした。そのイヴェントには今回のフェスティヴァルのようにいろんな国のミュージシャンが出演してたんです。ただ、その2年ぐらい前からノイズ・ミュージック自体は作ってました。
――十代の頃からノイズを作ってこられたわけですけど、音楽を作るうえで何かインスピレーションの源になってきたものがあれば教えてください。
エフェクターを通したギターの音色を、ギターを弾けない自分がマイクロフォンとエフェクト・ペダルを使って表現するという行為自体がインスピレーションの源のようなものなんですよ。ブラック・メタルよりもヘヴィーな音を出すにはどうすればいいのか、常に考えながら音楽をやっています。
――でも、そこまでギターの音を愛しているのであれば、これまでにギターを練習してみようとは思わなかった?
まあ、(ギターは)あくまでも聴くのが大好きで、そのためにみずからギターを習おうとは思わなかった。自分オリジナルのメタルを作ればいいな、と思っていたので。
――なるほど。では、ふだんはどのような場所でライヴ・パフォーマンスを行ってるんでしょうか。
残念ながら、ホーチミンにはハノイのように新しい音楽を演奏できる場所がなくて、ロックのライヴハウスやクラブで演奏することが多いんです。ロック・バンドがいくつか出た後にDJが入り、その後に僕がパフォーマンスすることが多いですね。
――ハノイのほうがノイズ/エクスペリメンタルは人気なんですか。
そうですね。演奏する場所自体はホーチミンも多いんですけど、エクスペリメンタル・ミュージックに関してはかなり遅れていると思います。おそらくホーチミンでエクスペリメンタル・ミュージックをやってるのは僕しかいないと思う(笑)。
――ちょっと意外ですね。ホーチミンはアジア有数の大都市ですし、クラブ・カルチャーも進んでますよね。
ホーチミンのクラブ・カルチャーは確かに盛んですし、ロックやヒップホップのシーンはハノイよりもホーチミンのほうが断然進んでると思います。ただ、エクスペリメンタル/ノイズは僕以外誰もやってないんじゃないかな。
――ライザー(Writher)という名義でも活動していると聞いたのですが。
ライザーというのはSNS上の私のニックネームです。最初は2009年、Myspace上で使っていたアカウント名だったんですが、今は〈グエン・ホン・ヤン〉に統一してます。SNSでは本名を洩らしたくなかったので、そういう名前を付けてたんです。
――タイムキーパーというバンドでキーボードも担当しているそうですね。
タイムキーパーはジャンルとしてはポスト・ロックの部類に入るんじゃないかと思います。2013年から活動してまして、僕がふだん取り組んでいるヘヴィーなインストゥルメンタルではなくて、もっと柔らかいものを追求してます。ホーチミンでも支持されていて、ライヴショウも頻繁にやっています。このバンドではこれまでに二枚のアルバムも出しているんです。タイムキーパーもホーチミン唯一のポスト・ロック系バンドなんじゃないかと思いますね。
――インスタレーションやダンスとのコラボレーションもやってるそうですが、こちらではどのような活動をしているのでしょうか。
あくまでも収入のために作っているんですが、ヒップホップのトラックを作ったり、他のロック・バンドのためにバック・サウンドを作ってあげたりしています。あと、iPadのアプリ用のサウンドを作ったり。
――ゲーム音楽も作りたいんじゃないですか。
ゲーム音楽は子供も頃から作ってましたね。ただ、ヴェトナムには産業としてのゲーム業界がないので、仕事にはならないんです。日本みたいにゲームが産業として成り立っていればいいんですが。
――今後の活動に対するヴィジョンなどあれば教えてください。
今後の目標というかヴィジョンとして、音楽を作るソフトウェアを作りたいと思っています。自分専用のものじゃなくて、それを使えば誰もが自分なりの音楽を作れるというソフトウェアを作りたい。あと、引き続きいいろんなサウンドに挑戦していきたいですし、近い将来にアルバムも出していきたいと考えています。
――〈グエン・ホン・ヤン〉名義のアルバムということですよね?
そうですね。実はタイムキーパーはほぼ消滅状態にありますし、ヘヴィーなインスト・アルバムを作ってみたいと思っています。
――では、最後の質問です。今回のプロジェクトでさまざまなバックボーンを持つアーティストと競演したわけですけど、彼らと何らかの感覚を共有できたという実感はありますか?
ありますね。やっぱり音楽というのは人と人とを繋げるという役割もあるし、そのことを再認識しました。今回参加したアーティストとは今後もコラボレートする機会はあると思いますし、実際、インドネシアのトゥ・ダイさんとはインドネシア/ヴェトナム両国でアルバムを出すという共同プロジェクトをやっていくことになるかと思います。