ルオン・フエ・チン
インタビュアー=大石始
○瞬間の感情を電子楽器で表現する
――今回のアジアン・ミーティング・フェスティヴァルに参加した感想を聞かせてください。
今回参加できたのはとても嬉しいことですし、私にとってもいいチャンス、いい機会になりました。どういうチャンスかというと、東南アジア地域における同じような分野のミュージシャンとの出会いの場として、とてもいいチャンスでした。そして、今回のフェスティヴァルに参加してたくさんのことを学びました。他の国のミュージシャンの技術やノウハウを収集することもできましたし、主催者側の素晴らしい仕事ぶりからもたくさんのことを学びました。もうひとつ強調しておきたいのは、フェスティヴァルのお客さまがとても素晴らしかったということ。私もこれまでにいろいろな場所で演奏してきましたが、さまざまな世代の方々が興味深そうに耳を傾けてくれて、とても印象に残りました。自分の音楽があんなに風に受け入れてもらえるなんて、本当に感動しました。
――今回の東京公演は演奏者の周りを観客が囲むような配置になっていました。おそらくふだんのステージとはちょっと違う空間だったと思うんですが、やってみていかがでしたか?
あのステージ配置にも主催側の素晴らしさ、プロフェッショナルさを感じました。ミュージシャンが上、観客が下という通常の構成はどうしてもお互いの隙間ができてしまいますが、観客がミュージシャンを囲むあのスタイルですとお互いの距離が縮まりますよね。観客にしてみると音が一方向から聴こえてくるのではなく、サラウンド的にあちらこちらから聴こえてくるわけですから、興味深い体験だったのではないかと思います。ミュージシャンと観客が相互に影響し合っていたとも思いますし、観客からインスピレーションをもらってるような感覚もありました。
――今回使用していた機材は?
ラップトップとその中に入っているソフトウェア、それとミニ・キーボードですね。ミニ・キーボードを操作しながらソフトウェアを動かせるようになっているんです。ラップトップにはこれまでに作ってあった音楽のサンプルが入っていて、実際の演奏とそのサンプルをミックスさせていました。
――ヴェトナムでライブ・パフォーマンスをやる際も今回と同じ機材なんですか?
機材そのものは一緒ですけど、音楽の処理法は毎回違いますね。同じような演奏を繰り返すのは私にはできないんです。同じようなものをやろうとしても違ったものになっていく。毎回用意する音源サンプルも毎回違いますし、その場で感じたインスピレーションに影響を受けながら演奏するスタイルのひとつの魅力でもあると思います。
――ルオンさんにとって、インスピレーションをすぐさま音で表現するにはミニ・キーボードが一番使いやすい?
その通りです。私はその瞬間の自分の感情やインスピレーションによって音楽を作っていくんです。また、他のミュージシャンとセッションするときは、〈この人がこういう音を出すのなら私はこうしよう〉というふうに瞬時に反応できなければいけません。音源サンプル自体はいたってシンプルなものなので、そのサンプルをもっとも複雑にしたり加工したりして使うんです。
○音楽の道を諦められず
――ルオンさんのバイオグラフィーについてもいくつか確認させてください。ハノイ在住ということですけど、お生まれもハノイなんですか?
生まれはハノイではなくて、ハノイからちょっと近いハイズオン省の出身なんです。13歳でハノイ音楽院に入ってからハノイに住みはじめました。
――ハイズオンとはどんな土地なんですか?
ハイズオンにしても現在住んでるハノイにしても、いいところもそれなりのところが両方ありますよね。たとえばハイズオンはとても静かで平和な町ですけど、毎日何も起こらず、何も変わらない。一方ハノイはとても賑やかで人がいっぱい。ストレスも多いけど、活気はありますね。
――13歳までハイズオンで暮らしたことはルオンさんの音楽に影響を与えた部分もありますか?
もうハイズオンよりもハノイに住んでる歳月のほうが長くなってしまったので、私の音楽にはハノイ的な賑やかさもあると思うんですね。でも、そのなかにも絶対に穏やかな要素がある。それは間違いなくハイズオンで育ったことが影響してると思います。
――ハイズオンにいた頃から音楽を習っていたんですよね?
そうですね。6、7歳のころ、子供のクラブ活動・課外活動のなかでキーボードを習いはじめました。ベトナム国立音楽院(当時は〈ハノイ音楽院〉)が学生募集のために告知活動をしていたことがあって、私が通っていたキーボードのクラブにもそれがきたんです。テストを受けてみたら合格したんですけど、学校からはチェロを習うことを薦められて。でも、当時はまだ幼かったので家を出てひとりで住むことに両親が反対しまして、そのときは一度諦めたんです。1年間経った後、やっぱり音楽の道を諦めきれなくて。それで13歳のときにハノイでもう一度受験して、キーボード科に入学しました。私の強い意志を感じたのか、両親もハノイでひとり暮らしすることを受け入れてくれました。
――そこまで強い意志を持っていたのはどうしてなんでしょうか。音楽に対する思いがとても強かったということですよね。
私の家族は父方・母方とも音楽の道に進んでいて、叔母や叔父など親戚もみんな音楽をやってるんです。音楽のある環境で育ったんですね。それも伝統音楽もあれば欧米の音楽もあって、子供の頃から私にとって音楽は人生に欠かせないものになっていたんですね。キーボードを習いはじめた頃もご飯も食べずにずっとキーボードの練習をしていたぐらいでしたし、音楽以外の道を進むことはまったく考えていませんでした。他の職業に就くなんて考えたこともなかったんです。
――ヴェトナム国立音楽院ではジャズ・キーボード科に進まれますね。ジャズは子供の頃から聴いていたんですか。
入学したときはキーボード学科だったので、ジャズはまったく聴いたことがなかったんです。高校まではずっとクラシックを専攻してたんですよ。それが短期大学に入ったときにジャズと出会いまして、クラシックかジャズどちらかを選ばないといけない状況になって。クラシックに比べると、ジャズは自分を自由に表現できるんですよね。それでクラシックではなく、自分のフィーリングや感情を自由に表現できるジャズを選びました。
――なるほど。では、ジャズのピアニストで特に好きなのは?
キース・ジャレットとオスカー・ピーターソンですね。この2人の音はとても色彩豊かなんですよね。とてもヘヴィーでデコボコなサウンドもあれば、とても滑らかで柔らかいサウンドも入っている。私にとってはそのギャップがとても面白くて惹かれます。
⚪︎伝統音楽に現代の音を
――2010年からは伝統音楽の演奏家であるソンX(Son X/本名Nguyen Xuan Son)さんに師事されていますよね。ソンXはどんな方なんでしょうか。
大学を卒業する2010年、音楽用のフリーソフトをとある方にプレゼントされたんですね。このソフトを使えばおもしろい音楽を作れそうな気がしたんです。そんなときに友人からソンXを紹介されました。彼はフランスの現代ダンスの音楽も作っている人物なんですが、彼の音楽を初めて聴いたとき、とても感動しました。彼に音楽を教えてもらいたくて何度もお願いしたんですが、ずっと断られてしまって。彼は弟子を取らない主義で、誰にも教えたくないということだったんですね。1年あまりお願いし続けて、ようやく受け入れてくれました。それ以来、現代音楽や現代アートについての知識と考えたを彼から吸収させてもらいました。そういったことは音楽院でも学ぶことができなかったことなんです。彼の考え方のなかでも特に私が気に入ったのは、現代の音楽と伝統音楽の調和という観点でした。彼はもともとヴェトナムの伝統的な太鼓の演奏家だったんですが、その伝統を採り入れながら、それを現代的に表現しようとしている。そこに影響を受けました。なによりも、彼の音楽は鳥肌が立つぐらい感動的なんですよ。彼自身は気難しい人で、常に自身の表現の最高峰を求めるような人なんですね。そんな人が自分の音楽を認めてくれるのであれば、それは私の音楽に価値があるということだと思いましたし、だからこそ彼に師事しようと思ったんです。
――ソンXさんにはどれぐらいの期間師事したんですか?
今も習ってるんですよ。相変わらず新しく作ったものを彼に聴いてもらって、アドヴァイスしてもらっています。
――ラップトップを使ったライヴ・パフォーマンスを始めたのはいつから?
2010年です。
――ハノイではふだんどのような場所でパフォーマンスしてるんですか?
展覧会のオープニング・セレモニーや音楽のフェスティヴァル、イヴェントですね。場所としてはギャラリーでやることが多いです。私のパフォーマンスは静かな場所じゃないとできないので。ハノイには外国の文化センターもあるので、そういうところでやったりとか、あとは無声映画とコラボレーションしたこともあります。
――ルオンさんがやっていらっしゃるようなエクスペリメンタル・ミュージックを受け入れる土壌はハノイにはあるんですか。
現段階のヴェトナムではこういう現代音楽やエクスペリメンタル・ミュージックはまだ産声を上げたばかりなんですよ。90年代半ばから現代音楽に類似した音楽をやっていたミュージシャンもいたんですけど、まだまだミュージシャンの自己満足のような表現にすぎなかった。現在も現代音楽に関心を持っている観客は極めて少ないですし、政府からのサポートもないんですね。だから私たちみたいなミュージシャンはみずからお金を出してライヴをやるか、外国の文化センターや文化交流基金の援助を得るしかないんです。
――なるほど。ところで、ルオンさんはサウンド・インスタレーションの作品を作っていらっしゃいますよね。
ドイツ大使館主催のゲーテ文化センターからとあるプロジェクトへの参加依頼を受けまして、それで「ブラック・サークル」という作品を作りました。プロジェクトに参加していたのはヴィジュアル系の作家がほとんどで、私は唯一のサウンド系アーティストでした。このプロジェクトは〈川の変化〉をテーマにしていて、私はメコン川をテーマに制作したんです。ヴェトナム南部のメコン川の流域で川の流れる音や南部の伝統音楽を録り、それを使用して音楽制作をしました。暗い部屋のなかにペンキを塗ったガラス張りの箱を3つ置き、そのガラスにこの5年間、メコン・デルタ流域で洪水災害によって亡くなった人数や行方不明になった人数を写し出し、その空間のなかで私が制作した音が流れるという作品です。社会が発展するなかで常に川も影響を受けていますし、川の流域に住んでいる人たちの生活も影響を受けているわけで、そのなかで代々伝わってきた伝統音楽も変わっていく。ですので、南部の伝統音楽にメタリックな機械音など現代を象徴する音をミックスして音源を制作しました。「ブラック・サークル」は東南アジア5か国で展示されました。
――南部の伝統音楽とはどのようなものなんでしょうか。
タイトゥ(Tai Tu)という音楽です。ギターと歌で奏でられるもので、元はフエ宮殿の宮廷音楽。フエは中部の町なんですが、南部へとだんだん国を拡大していくなかで、フエの人たちも南部に移動していくことになるんですね。そのときにフエの伝統を南部へも持ち込んだ。ですので、フエの伝統とメコン川流域の穏やかさがミックスされたのがタイトゥなんです。宮殿音楽と田園風景的な穏やかさが共存しているんですね。
――なるほど。帰ったらチェックしてみます。では、最後にいくつか質問させていただきたいんですが、今後の活動に関して具体的なヴィジョンやイメージがあれば教えてください。
もっとたくさんの音楽のスタイルを学んでいきたいですね。伝統音楽にせよ現代の音楽にせよ、まだまだ私は知らないものばかりですから。そういったものをミックスして自分の表現にしていければと思います。音楽と映像をミックスさせるのも私がやりたいことですね。それと、やっぱり現代音楽の支持者を増やしていきたい。私と同じような考えを持つミュージシャンとどんどん交流していきたいし、そのなかで新しいコミュニティーを作っていければと考えています。
――では、最後の質問です。今回のプロジェクトではさまざまなバックボーンを持つ表現者と競演したわけですが、そのなかで何らかの共有する感覚、共通した認識が生まれたとすれば、それはどのようなものですか。
音楽に対する情熱と愛情がみんな一緒ですよね。音楽を通じて自分の思考やフィーリングを表現するという目的も共有していたと思いますし、その点は出演者だけでなく、プロジェクトの主催者側や技術のみなさんとも共有していたのではないかと思います。