レスリー・ロウ インタビュー

レスリー・ロウ

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インタビュアー=須川才蔵

○いつもさまざまな音楽を

――これまでの活動について教えてください。

 難しい質問です(笑)。僕は学生のころから音楽作りをしていて、いつも2つ、3つかけもちでバンドをやっていました。90年代にそのうちのひとつがシンガポールのポニーキャニオンと契約しましたが、それがハンプバック・オークというバンドです。ハンプバック・オークは解散しましたが、ちょっと休みをとって、また音楽に戻ってきてからは、ずっと音楽をやっています。

――基本的にはロックを演奏されていたと思いますが、レスリーさんはいろんなジャンルの音楽を聞いてきたんですね。

 そうです。

――フロントマンを務めているジ・オザヴァトリーというバンドは、いつから始めたんですか?

 2001年に始めて、2004年に最初のアルバムをリリースしました。

――ソロ活動はいつから?

 ソロは90年代にもやっていました。ハンプバック・オークの曲をソロで演奏することもありました。

――今回のフェスティバルでは、多くのミュージシャンと即興的に演奏したわけですが、これまでもそういった経験はありますか?

 2009年のアジアン・ミーティング・フェスが、私がインプロヴィゼーションで演奏した初めての経験でした。キュレーターのチーワイはわたしの友達で、今はオザヴァトリーのメンバーでもありますが、彼が、もっと海外でもっと演奏してみたら? もっと即興演奏をやればいいのに、といつも勧めてくれていたんです。大友さんが2009年にアジアン・ミーティング・フェスをやったときに、ヴィヴィアン(オザヴァトリーのメンバー)と彼で一緒に行こうよと言ってくれたおかげで、自分の方向性が即興演奏にも向いてきていて、とてもうれしく思ってます。

――シンガポールでも即興をやっていますか。

 はい。機会があればそうしてますし、ノルウェーでも演奏しています。ノルウェーにもアジアンミーティングフェスのようなフェスティバルがありまして、そこにもたくさんのインプロヴァイザーが演奏していて、そこにも参加しています。アジアン・ミーティング・フェスによって世界が開かれたという感じがしています。

○AMFと即興演奏について

――今回AMFで演奏してみて、どう感じましたか?

 とても楽しかったですね。みんなフレンドリーでほとんど家族みたいなグループなので、とてもうれしいです。東南アジアで演奏している人と知り合えるのはうれしいです。2009年にもたくさんの日本のミュージシャンと知り合えましたし、韓国や中国からもミュージシャンが来ていたので、素晴らしい経験になりました。

――強い印象を持ったミュージシャンはいましたか?

 難しい質問ですね(笑)。好みの人をピックアップするのは難しいですが、シンガポールの隣ということもあって、インドネシアの音楽シーンには興味を持っています。特にノイズや伝統音楽が非常に盛んなので、オザヴァトリーとしてもガムランや東南アジアの音楽にも興味を持っています。トゥ・ダイのノイズや、イマンさんが伝統的な楽器をあんなふうに演奏するのはとても面白いと思います。ベトナムもシンガポールから近いので、グエン・ホン・ヤンとルオン・フエ・チンにも興味があります。シンガポールでオーガナイズしている「プレイ・フリーリー・ミュージック・フェスティバル・アンサンブル」では、大友さん、Sachiko Mやチーワイさんには来ていただいているので、彼らにも強い印象を持っています。特に京都ではSachikoさんの隣だったのですごく感じがつかめました。みんなそれぞれユニークなので、みんなそれぞれがいいなと思いました。誰かひとりというのはムリですね!(笑)

――バンドと即興演奏では、演奏の仕方に違いはありますか?

 即興演奏は「あるがまま」と考えています。もちろん、オザヴァトリーのときはまわりの状況を気にしていますが、即興では、ほかの人がどんなふうに演奏しているのか感じたり、自分が音を出すことで全体がもっとよくならないかと考えながら演奏しています。私はエンジニアとして、レコーディングやミキシングをやっていた経験が長いので、このグループで即興するとしたら、どうやれば他の人の良い部分が引き出せるのか全体がよくなるかな、と考えながら演奏しています。

――たしかに、まさにそのような演奏でしたね。

 ちゃんと通じていてうれしいです(笑)。アジアでの即興はお互いにお互いが輝かせる演奏なんです。ノルウェーではハーシュにやる即興が多くて、わたしはそっちに慣れていたのでガンガンやっていました。でも、アジアでの即興演奏はそれとは違ってもっと聞くことが大事で、その中で自分がどのようにフィットできるかと考えるようになりました。

――相手の予想を裏切るような演奏をすることで、全体の演奏が思いもよらぬ方向に進むということもあると思いますが、そういう方向性に関してはいかがですか?

 もちろん興味はありますよ! というのも、僕は即興では前にやったことは絶対に繰り返しません。自分でも自分に驚きたいと思って演奏しているので、いつも何か新しいことにトライしています。どういう結果になるか見てみようというつもりで演奏していますし、もちろん失敗することもありますが。でもそれはそれとして、受け入れてプレイしていますね。

○オザヴァトリー

――今回、オザヴァトリーは日本でもツアーをやるそうですが、そのことについて話を聞かせてください。新しいアルバム『Oscilla』のジャケットを見ると、レスリーさんはシンガポールの自然に対して深い愛着を持っているように思えますね。

 とはいえ、シンガポールの自然は、いつも樹が切られて、そこにビルが建つという状況にさらされています。わたしは熱帯の自然が好きなのは、ワイルドなところです。シンガポールでは、樹をどんどん切って、美しい公園にしたりします。見た目はこぎれいですが、私は好きではありません、もっとワイルドなものが好きなんです。私が生まれ育ったところは、シンガポールの中でも野性の自然が残っているようなところです。今でも少しは残っていますが、そこにもビルがどんどん建ってきています。この写真もそうですし、前のアルバムもそうですが、もうちょっとこういうところを守ろうよという望みが込められています。

――それがバンドの楽曲のメッセージにもなっている?

 そういうところもありますが、それは一部ですね。それともうひとつメッセージがあるとすると、全地球的に商業化され、資本主義的になっていることに対してNOと言いたいです。私たちはもっと地球に対して責任ある生き方ができると思いますし、これだけ知識があるのだから、持続可能な生活は十分できるはずですし、地球に対して害をもたらすようなことなく生活できるはずだと思います。

――僕はシンガポールに一度行ったことがありまして、そのとき強い印象を受けました。いい国だなと思い、そして、今の東京で暮らしている人なら、シンガポールのような環境で暮らしたいと思うんじゃないかと思いました。もちろん、それを支えている政治がどんなものかはわかっているつもりです。シンガポールでは、たとえばバンドの歌詞に検閲があると聞いていますが、そういう政治に対して正面から立ち向かうのは難しいことでしょう。先ほどいわれた物質文明、資本主義批判は、そうした中でレスリーさんが表立っていうことのできる政治的なコメントだといえますか?

 そうですね。私の世代の社会に対する感情は二分化しています。もちろんビジネス大賛成、国際的な銀行に来てほしいと思うビジネスマンもいますし、他方でそういうものからメリットを得ない、非常に貧しい人たちもいます。そして、そういう貧しい人たちは、観光客が行かないような、中心部から遠い場所に住んでいます。私もそういう環境に近いところに住んでいて、社会の、私の周りの人たちの気持ちを鏡に映したような歌詞を音楽に乗せているといえるかもしれません。私が音楽にメッセージを込めることによって、人々が変化を欲していることに気がついてほしいのです。

――結果として、この新しいアルバムは、ロックサウンドにハーシュなノイズがかぶさっているような音楽になっています。これはそうしたメッセージが込められてるということですね? 変拍子が入っているのも。

 そう考えてもらってかまいません。そんなふうに聴こえますよね(笑)。変拍子にはいつも興味をもっています。

――このアルバムには、サイモン・ヘイワースという人がマスタリング担当としてクレジットされていますね。この方はかつてイギリスでエンジニアをしていた人ですか?

 彼の作る音楽が好きだったので、マスタリングしてもらったのです。

――どのアルバムが好きですか?

 ニック・ドレイクですね。すごいファンなんです。シンガポールは英国領でしたから、僕はイギリスの60〜70年代のフォーク・ロックの影響を強く受けています。ニック・ドレイクをレコーディングしたのはジョン・ウッドという人ですが、サイモン・ヘイワースがマスタリングをやったという縁です。

○シンガポールで音楽をやるということ

――レスリーさんが活躍されているシンガポールのアンダーグラウンド・シーンについて教えてください。どんな人がいて、どんな場所でやっているのでしょうか?

 サブステーションという場所があって、そこがこういうバンドのメッカになっています。そのスペースは今もあって、重要な場所です。実際にこのアルバムのコンサートをやったのもこの場所です。パンクもコアメタルもロックも、どんなジャンルもその場所で演奏しています。

――チーワイさんが、ハードコアパンクやノイズをやるようなバンドはシンガポールにはいないといっていましたが......。

 チーワイがいっているのは数年前のことだと思います。今はもう少しいます。でも、インドネシアに比べるとシーンが小さいですから、人数は非常に少ないですね。

――シンガポールでレスリーさんのような姿勢で音楽を続けていく、良い点と悪い点を教えてください。

 ソロとバンドでは違いますが、うーん、良い点が思いつかない!(笑)
 私たちがオザヴァトリーをはじめたときはシーンが小さくて、なにも活動がないという時代でした。2003年に、コンサートが売り切れになってびっくりしたくらいです。アルバムもすごく売れて、最初のカットでは足りず、何度もプレスし直さなくていけないくらいでした。さらにタイでも売れたんですが、そういう意味では、シーンが発達してないのが良い点といえるかもしれません。私にとって最初のバンド、ハンプバック・オークが解散した後で、アメリカに1年いたんですが、そのときは音楽をしませんでした。シンガポールに帰ってきて、このオザヴァトリーを始めたんです。だから、ルールがなかったといえるでしょう。自分で好きにできる。どんどんジャンルを変えるのがバンドのスタイルになったんです。最初はエレクトニックでメロディーがメランコリックなアルバムを作って、次は違うものをと変えられるのが良いところなのかもしれませんね。
 悪い点は、これは逆に良い点ともいえますが、正面きってプロテストすることができません。そこで私は作詞家として、英語を駆使して、いいたいことを過剰に提示しないで歌詞に込めることができます。「F」言葉を使わないでいいように、聴く人も私がいっている言葉の意味を発見してくれます。私のファンはそれを理解してくれる。みんなシンガポール人だから、状況を理解できているわけです。クリエイティヴさがそういう意味で発揮できているともいえます。
 検閲はあるにはありますが、ゆっくりですがその検閲の扉がちょっとずつ開いてきているという気がしています。他の人たちも少しずつ大胆になってきている。いうべきことを言い方を考えながらいうバンドが出てきていて、そういう状況を見るのは非常にエキサイティングです。自分のやりたいやり方や言い方でいいたいことをいうバンドを観るのはすごく面白いなと思います。

――シンガポールでは、トラディショナル・ミュージックはどれくらい残っていますか?

 シンガポールの伝統的音楽というと、中国から来た音楽だったりするわけで、それがシンガポールの音楽かといえば、それはどうかなと思います。それは中国本土の音楽をそのままのかたちで保守的にアウトプットしているわけですが、しかし同じことがインド音楽やマレー音楽にもいえます。私は、音楽は民族ごとに分断されるべきではないと思っています。シンガポール的なものを何かとするか、マレーとかインドとか中国と分けてはいけないようなものだと思っています。伝統の音楽の残し方はオーセンティックな中国の、インドの音楽となっているのは、どうなのかなと思います。

――では、レスリーさんはご自分のシンガポール人のアイデンティティをどんなところに感じていますか?

 混乱しますね、シンガポールに育つと。私の母は広東人なのですが、シンガポールで広東系はマイノリティです。でも、私が小さいころには香港のテレビシリーズを観ていましたし、母や祖母とは広東語を話すという環境でした。私は、多民族であることがシンガポール的だと思っています。いわゆる真の意味でのシンガポール音楽とは、先住民のマレー音楽なのではないかと思っています。