コック・シューワイ インタビュー

コック・シューワイ

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インタビュアー=須川才蔵

○映像作家をめざして

―― シューワイさんは、キュレーターとしての活動や、映像作家としても活動していると伺っています。まず、そのあたりの活動についてお話ししていただけますか。

 最初はヴィデオの製作から始めました。1998年にアメリカに留学して、99年にニューヨーク州立大学バッファロー校の大学のメディアスタディ学部でヴィデオプログラムに入学したのが始めです。
 最初のころはいわゆるエクスペリメンタル・シネマをまったく知りませんでした。とにかく映画のことしか考えてなくて、映画監督になるぞって思ってたんです。でも、ヴィデオのクラスをとったら、そこで先生をしていたトニー・コンラッドに出会って、こんな人、今まで見たことないと思って、ものすごくショックを受けました。

―― それまでの先生とどう違ってました?

 アジアで教育を受けるというのは、先生のいうことをよく聞いたり、先生の指示に従うことが中心で、自己表現だとか双方向性といったものはあまり教わりません。そういう意味で、そこでの授業全体がこれまでの経験とはかけはなれたものでしたが、トニー・コンラッド先生からは、人として強くインスパイアされました。ヴィデオとかフィルムに関しても、こんなに違う使い方をすることがありえるんだと非常に強くインスパイアされました。それが私の出発点になっています。でも、最初に始まったときは、あの有名なトニー・コンラッドだというので満席でしたが、最終的には5人しか残りませんでした(笑)。私はその5人のうちのひとりだったんです。
 よく覚えているのは「フリッカー」という、白い画面と黒い画面が素早く交互に映し出されて点滅する作品です。でも、それだけじゃなくって、その中にいろいろなものが見えるんです、たとえば電車とか。最終的には幻覚的な感じになって、「おおっ!」と思いました。彼の演奏する音楽も、たとえばヴァイオリンでずっと同じ音を弾き続けているのに、それが継続的に変化しているという、そういうところが面白かったです。

―― ただ、トニー・コンラッドの作品は、シューワイさんの作品とはちょっと肌合いが違う気もしますね。たとえばマヤ・デレンの作品の方が親しく感じたりしませんでしたか?

 トニーはもちろん新しい道に目を開かせてくれた人ではあるけれども、私としてはもうちょっと自分の興味に近い人のほうを見ています。たとえば、もっと内面的だったり、もっとエモーショナルだったりっていう方に興味がありますね。今いわれたマヤ・デレンもその一人です。彼女の場合、物語を語ったり、あるいは人の身体を使って、ダンスとか手の動きなどで表現しているので、彼女の方が私には近いと思います。

―― ご自分の作品に一番近いと思われる映像作家は誰でしょうか。

 作品作りという意味では、セイディ・ベニングかもしれません。彼女が15歳の時に撮った、すごくシャイで反社会的な感じ、あるいはあまり友達がいないような感じが印象的でした。お父さんも有名な映画監督で、子供におもちゃのカメラをあげて、それで彼女は自分の部屋で日記のように、正直にシンプルでパーソナルでエモーショナルな作品を作ったんです。それが私にはとても強くインスピレーションを与えました。シンプルにカメラを通して語るという意味では、たぶん私にすごく近い人だと思います。
 もうひとつ、ヴィデオの話の続きですが、私の音楽もヴィデオに端を発しています。オリジナルなヴィデオを作るのに合わせて音楽もオリジナルなものを作りたくなって、音を使って実験するというところから、私の音楽が始まったんです。最初はちょっと短いメロディを歌っていましたが、それがどんどん音楽そのもののために音楽を作ることに発展していきました。
 最初は、いろんなものを使って音を出したり、声についてもサウンド・エフェクトで処理したりしていましたがとか、この数年は、身体をもっと極めたくなって、本当に生の声だけしか使わなくなりました。

―― では、経歴のお話に戻りましょう(笑)。

 そうでした(笑)。ヴィデオ製作のほかには、学生のころからイベントのオーガナイズもやっていました。何かものごとを始めるのが好きなんですね。大学院生のときには、休みにアメリカからマレーシアに帰ったときに、大学の先生に連絡をとって、3か所でヴィデオの上映をさせてもらったこともありました。
 それから、いわゆるオーガナイズを始めました。アメリカに留学する前は、人の前に出ること(exposure)の意味や、そもそもそういう意味をもつことばを知りませんでしたが、アメリカに数年いてマレーシアに戻ってきて、実験的なことや即興をやっているミュージシャンの友達や個人で映画を作っている友達と知り合いになって、SiCKLという小さいアーティスト・コレクティヴを作り、小さなスタジオで、毎月ヴィデオを上映して、同じ場所で即興音楽もやってというような活動を始めました。自分たちだけでやることもあれば、外からアプローチされてスタジオで一緒にやったり、あるいは国際的な海外の映画人やアーティストが私たちのサイトやブログを見てコンタクトしてくることもありました。そういう人たちのためにスタジオでイベントをオーガナイズしたこともあります。
 そのSiCKLも2年半〜3年くらいはアクティヴでしたが、みんなほかにフルタイムの仕事を持っている人たちで、人数も少なかったので、だんだん毎月やることが難しくなってきて、不定期の開催になりました。同時に、ほかの場所でもこういうイベントをやるようになりました。2010年からは、私がディレクターを務めるフェスティバルを始め、それは今も続いています。

○刺激的だったAMF

―― 今回、東京と京都でコンサートをしてみて、いかがでした?

 もちろんとっても楽しかったです! クアラルンプールだと、ミュージシャンがそれほど多くないので、いつも違う人と違う組み合わせでやるようにしても、結局同じ顔ぶれみたいな演奏のしかたしかできないんです。

―― ああいうかたちでたくさんのミュージシャンと一度にセッションするのは初めてですか。

 今までは7〜8人が最大だったので、その意味ではそうですね。それに、違う楽器を持っている人とのセッションは今までもやったことがありますが、こんなに長いコンサートっていうのも初めてで、これまでセットとしては、10分、20分、最長でも30分でしたが、今回のようにオーケストラのかたちで60分くらいの長さでやるのは初めてです。

―― 今回いっしょにやってみて面白かったミュージシャンは?

 大友さん! 京都のコンサートでは、大友さんがずっと隣にいて、彼が何をやっているのかがつぶさに見られたという意味でもすごく面白かったです。彼はたぶん経験があるからなんでしょうけど、いつも迷いなく、シャープに正確に演奏しますね。私なんかは、演奏しているときに、次に何をやるか考え始めたりすることがあるんですが、それが大友さんはないんだなと思いました。それから、シンガポールでdj sniffさんとやったときも、ターンテーブルの人とやるのが初めてだったこともあって、非常に面白かったです。マレーシアでよくいっしょに演奏するのはテナーサキソフォンのプレイヤーなので、同じサックス・プレイヤーの小埜涼子さんもすごく面白いと思いました。

○声と身体の使い方

―― シューワイさんのヴォイス・パフォーマンスのコンセプトを教えてください。

 トニーと違って、コンセプトはありません(笑)。その場で感じたことを表現します。他の人とプレイしているときには、その人たちとコミュニケーションしながら演奏します。だからノー・コンセプトがコンセプト。声の面白いところは、可能性がたくさんあるというところです。日常生活では用途は限られているでしょうが、私としては人の声の持つ可能性をもっと模索したいと思っています。単に歌うだけでなく、パーカッション的な使い方をするとか。また、身体の動きで声も変わってきますよね、たとえば顔を動かすと声が変わってくるとか。そういうアプローチももっと深めたいと思っています。もともと身体で何ができるのかにはずっと興味があって、いろいろトライはしているんです。昔ダンスもやろうかなと思ったけどうまくできないので、自分の強みであるところの声でいこうと思ったわけです。
 もちろん私が知らない身体の使い方もたくさんあるでしょうから、そういう情報がわかれば、いろいろ学べるのかもしれません。そのひとつが瞑想です。ある種の声が瞑想しているときの身体にどう影響があるのかとか、ステージ上で演奏しているときも同時に瞑にと感じられるときがあったりとか、いろいろな意味で瞑想には興味をもっていますね。アメリカでポーリン・オリヴェロスのディープ・リスニングのワークショップをとったときに、自分に対してもっと内省的に聞くといった、瞑想に近い経験を積むことができたので、そのせいもあると思います。

―― ポーリン・オリヴェロス、禅みたいじゃなかったですか(笑)。

 そうです(笑)。そういうのは大好きですね。でも、ポップ・ミュージックも好きですよ。フェイ・ウォンなんかも大好き。彼女はヴォーカリストとしてパワフルなこともやるし、実験的なこともやるし、フォーク・ミュージックも美しいものに影響受けていると思うし。

―― クアラルンプールでインディペンデントの音楽やっている人がたくさんいるとも聞きますが、実際のところはいかがですか。

 いっぱいいますが、実験的なことや即興をやる人たちは少なくて、どっちかってインディーズっていうとロック、フォーク、あとパンク・ロックが中心ですね。2006年にマレーシアにアメリカから帰ってきたときには、パンク・ロックのコンサートでひと組だけ即興ミュージシャンとして演奏したこともありますが、変な感じでしたね。先にパンクでガンガンやっている後に、ヨン・ヤンゼン(Yong Yandsen)と私が静かな音楽をやると、来てる人たちがみんな「はあ?」っていう顔になっちゃう。面白かったです。

―― この後、シューワイさんは、映像と音楽の活動を並行して続けていくんですか。

 そうですね、私にはやることがいっぱいあって。音楽、ヴィデオ、オーガナイザー。もちろん家賃も払わないといけないから、先生もしています。アメリカに行っていたときはヴィデオに軸足がありましたし、過去数年はオーガナイザーに軸足を置いてましたが、今後はミュージックにもっとフォーカスしたいと思っています。