Asian Meeting Festival 2015 in Tokyo 中心の存在しない「いくつものアジア」へ 大石 始

中心の存在しない「いくつものアジア」へ 大石 始

 アジアン・ミーティング・フェスティヴァルの東京公演は2015年の2月6日と7日、浅草のアサヒ・アートスクエアで行われた。二日間の出演者はトータルで20人。文化的バックボーンも国籍も異なるアーティストがひとつの空間に集って演奏を繰り広げたわけだが、開催前の段階ではそれがどのようなものになるのか、具体的なインフォメーションは主催者側からほとんど発表されることはなかった。
出演の順番を伝えるタイムテーブルはおろか、公演形態の一切が明かされることはなく、観客たちは何が行われるのかはっきりと分からないままアサヒ・アートスクエアを訪れることになったわけだ(もちろん、このライヴ・レポートを執筆することになっていた僕も例外ではない)。そして、最初に書いてしまうと、そこで繰り広げられたのはコンサートでもなければフリー・セッションでもなく、今回のプロジェクトのテーマでもある〈アジアン・ミーティング〉を具現化したものだった。
 2月6日の夜7時、開場と同時にアサヒ・アートスクエアに入った。エントランスを抜け、フロアに広がる光景を見て僕は驚いた。そこには木製の台がランダムに配置され、それぞれの上に楽器がセッティングされている。台によってはテープレコーダーやラジオなどおよそ楽器とは思えないものも乗っていて、これから一体何が行われるのか想像もつかない。そういえばエントランスで座布団を渡されたが、どうやら観客は好きな場所に座っていいということらしい。散々悩んだ挙げ句、僕はマーシャルのギター・アンプが置かれた台と、オシレーターやエフェクターがセッティングされた台の間に陣取ることにした。後から分かることだが、観客にとっては座る場所が重要な意味を持つ。それぞれの台の上にはスピーカー・システムがセッティングされていて、会場全体に鳴り響くメイン・スピーカーがあるわけではない。つまり、自分が座ったポジションに近い演奏家の音はよく聴こえるが、遠くに位置する演奏家の音は遠く聴こえるわけで、座る場所によって公演の印象はだいぶ変わってくるのである。ちなみに、僕が座った場所はシンガポールのレスリー・ロウとジョグジャカルタのトゥ・ダイの間(もちろん、それも後で分かったことなのだが)。会場の対極に位置するホーチミンのグエン・ホン・ヤンやプロジェクト・ディレクターであるシンガポールのユエン・チーワイがどのような音を出しているのか、最後までよく分からなかった。そして、後述するように、この音響空間自体がプロジェクトのテーマを具現化したものでもあった。「そこ/ここ」の空間的表現。「ひとつ」ではなく、「いくつもの音」。「ひとつのアジア」ではなく、「いくつものアジア」――。
 アーティスティック・ディレクターを務める大友良英の挨拶に続き、公演がスタートする。大友からも、そしてプロジェクト・ディレクターであるdj sniffとユエン・チーワイからも、これから登場するであろうアーティストの紹介は一切ない。あらゆる前情報を忘れ、ただ音に向き合ってくれ、ということなのだろう。
 暗闇のなか、会場の対極にセッティングしていたユエン・チーワイが音を鳴らし始める。彼が鳴らしている音を判別するためには耳をそばだてるしかないが、とても繊細なノイズだ。決して暴力的なノイズではなく、耳の裏をそっと撫でられるような官能的なノイズ。その後、会場の対極(すなわち、筆者である僕のすぐ近く)に位置していたdj sniffがターンテーブルを使用して、ユエン・チーワイと共鳴するようなスクラッチ・ノイズを奏でる。なるほど、こうやってリレー方式で音を数珠繋ぎにしていくわけか。ここで観客はようやく今回の公演の仕組みを知ることになる。

 ユエン・チーワイとdj sniffの音に絡み合ってくるのが、クアラルンプールのコック・シューワイだ。彼女のヴォイス・パフォーマンスは何かの工業製品のように非人間的なものであると同時に、感情表現を前面に押し出したエモーショナルなものでもある。ここにそれぞれのアーティストがそれぞれの音を重ね合わせていく。FUMITAKE TAMURA(Bun)の色彩豊かなノイズ。エフェクターを効果的に使ったレスリー・ロウのギター。ホーチミンのグエン・ホン・ヤンが開幕からの流れを繊細なノイズで受け継ぐと、続くジョグジャカルタのトゥ・ダイはノイジーなドローンで全体にグルーヴを生み出す。アーティスト同士が新しい言語を即興で作り出し、その言語で会話を試みているかのようにも聴こえてくる。ドローンを鳴らすトゥ・ダイに対し、山本達久はドラムを使って何かを問いかけている。ハノイのルオン・フエ・チンと日本のSachiko Mの2人は、まるで昔からの旧友のように電子音を使って会話をしている。セッションではなく、ミーティング。僕はふと、このプロジェクトのタイトルを思い出す。

 自作の電子楽器を前にした米子匡司は音楽とアートの境界線上にあるパフォーマンス行うと、そこに佐藤公哉がヴァイオリンとヴォイス・パフォーマンスが新たな色彩を加える。続くバンコクのユイ=サオワコーン・ムアンクルアンがチェロを奏でると、佐藤のヴァイオリンとの会話が始まる。そのかたわらで、米子匡司のトロンボーンが何かを話している。こうやって、思いもよらぬところでコミュニケーションが始まっていくのである。そこにあるのは即興演奏のスリルというより、コミュニケーションの楽しさだ。

 バンドン(インドネシア)のイマン・ジンボットはクンダン(両面太鼓)やスリン(笛)、ボナン(ガムランでも使用されるゴング)などインドネシアの伝統楽器を奏で、大友良英のギターは弦楽器という楽器の機能を越えたパフォーマンスを行い、かわいしのぶはベースによって大友の演奏に共振していく。最後に登場したのは、バンドンのビン・イドリス。彼のアコースティック・ギターと幽玄なヴォイス・パフォーマンスが演奏を別の世界へと導いていく。

 ここから全員での一斉演奏となる。ただし、お互いを消し合うような演奏ではなく、周囲の音を慎重に聴きつつ、慎重に共鳴し合いながらの演奏だ。音を出すことはもちろん、出さないこともひとつの表現になる。来るべきアジア像のイメージがここから少し浮かび上がってくる。「ひとつのアジア」ではなく、「いくつものアジア」。そこを結ぶものとしての音楽と、共通言語としての「音」。いくつものメロディーと、いくつものリズム。

 とても興味深かったのは、翌7日の公演では前日のものとはまるで違う音の会話が繰り広げられたということだ。もちろん前日に出演していた佐藤公哉とかわいしのぶ、FUMITAKE TAMURA(Bun)に代わり、サックスとフルートを奏でる小埜涼子、リアルタイムでMPCを叩いてビートを生み出すKΣITO(MPC)、フィールドレコーディング音源を素材とする電子音響作品を多数発表している渡辺愛という3人が加わったことも大きいが、同じアーティストであっても、前後の流れが変わることによって著しく演奏が変化する点がとても興味深かった。

 前日の前半がノイズ/ドローン系を中心とする静謐なセッションだとすると、2日目はかなりアグレッシヴなものとなった。その起点となったのは、凄まじい熱量でギターをかき鳴らす大友良英(なお、2日目の僕のポジションは前日と真逆。グエン・ホン・ヤンと大友に挟まれた場所である)。セッションの流れを大きく変える大友のノイジーなプレイに小埜涼子が凄まじいサックスの咆哮で呼応すると、そこに絡み合うトゥ・ダイも前日以上にアグレッシヴなドローンを響かせる。前日の公演でできあがりつつあった様式をアーティスティック・ディレクターみずからが壊し、それに他のアーティストたちが追随して新しい流れが生み出されるこの流れはとてもおもしろかった。ユエン・チーワイとグエン・ホン・ヤンの高音ノイズとKΣITOのビートが前日にはなかった風景を創出した瞬間も強く印象に残っている。

 なお、この日の翌日に京都で行われた公演も、東京の二公演とまったく違うものになったという。たとえ同じメンバーであろうとも音を出す順番や会場の環境によって演奏の内容は大きく変わるだろうし、ひとりが前日とは異なった演奏を聴かせれば、全体の流れもまるで違ったものになるだろう。全体を強引にコントロールする絶対的な「中心」が存在しないがゆえの不安定さ(二日目の流れを変えた大友であっても、決して絶対的な「中心」ではなかった)。だが、中心がないゆえにすべての音は存在する権利があり、音を鳴らさない権利もあった。そうした音に囲まれる不思議な居心地のよさを感じながら、この音の行方と来るべきアジアのあり方に僕は思いを巡らせていた。

大石始(おおいし・はじめ)
音楽雑誌編集者を経て、2007年5月から約1年間の海外放浪の旅へ。帰国後はフリーランスのライター・編集者・DJとして活動中。各媒体やワールド系を中心にしたCDの解説などで執筆するほか、トークイヴェントやラジオ出演も多数。著書に、『関東ラガマフィン』(BLOOD)、『GLOCAL BEATS』(共著、音楽出版社)、『ニッポン大音頭時代』(河出書房新社)。異国の地で味わう音楽と酒をこよなく愛する南国愛好家、重度の旅中毒患者。